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ワンこ!  ワン
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  話題  チキンラーメンを作ってきました。  2023年 9月23日 掲載 


2023年9月22日、ワンこの所属する協会の今年度の社会見学で、
カップヌードルミュウジアムに行き「チキンラーメン」の製造体験に行ってきた。
朝、阪急池田駅に集合し「チキンラーメン」の手作り体験をやって来た。
小麦粉をこね、のばし、蒸したあとに味付けをし、「瞬間油熱乾燥法」で乾燥するまでの工程を、体験してきた。
「チキンラーメン」と言えば、安藤百福が1958年に初めて即席ラーメンとして開発に成功したとの事だ。
ワンこは、日本そばの手打ち体験も何度か経験があるのだが、今回はラーメンと言う事で
手動の製麺機を使ってこねて味付けをした物を形を整え切り決められたグラム数にし
型がねに入れて「瞬間油熱乾燥法」にてあげて袋に詰めるまでの行程を1時間すこしでやって来た。
あげる、袋詰めをするのは施設のスタッフがやってくれるのだが袋に絵を描いたりして結構楽しかった。
160度の油で揚げるところをガラス越しに見たのだが
一気に見ているガラスが曇るほど暑いし以外に早く上がるのだなとも感じた。

この体験は数年前から計画はしていたのだが新型コロナの影響もあり今にいたってしまった。
翌日、「チキンラーメンー松」は制作者のワンこが食べたが努力味も相まって
いつもの「チキンラーメン」よりおいしく感じたのは欲目だろうか?


チキンラーメンー松

 

 話題 阿倍野防災センターへ行って来ました。 2022年10月4日 掲載 


去る10月2日、我が協会の社会見学で、阿倍野防災センター(阿倍野タスカル)と住吉大社に行ってきた。
久しぶりの対面での行事になった。
まだまだコロナの脅威からは抜け出していないのだが行動制限も解除された事もあり最近よく言われている「つなみ」や「地震」の備えにと前にも訪れたところだが、再度行ってみようと言う事で行ってきた。
朝、30人ほどが10時前に地下鉄の阿倍野駅に集合し行った。
センターでは、地震の際限ドラマを見、津波の速さを再現してもらったりして、また、地震に備えての説明や火事になった時の初期消火の体験をしたり煙が出ている部屋からどうしたらうまく脱出できるかの体験をしたりと、かなり以前とは違ってリアルな体験をさせてもらった。
最後に地震体験記に乗せてもらって30年前頃に起きた「阪神淡路大震災」と、今後訪れるであろうと予測されている「南海トラフ地震」を体験してきた。
ワンこは、「阪神淡路大震災」を自宅で経験したが、当時は何もできずこたつの下に頭を入れるしかできなかった。
今回、改めて体験学習をし、常に起こるであろう日に備えないといけないなと感じた反面、
今回はすべて「今から起こしますね」と言う合図でこちらも起こると覚悟して望んだのでなんとも思わなかったが、
例えば「寝ている時」や「風呂に入っている時」やリラックスしている時などに起こったらどうなるのだろうとちょっと心配を持ちながら体験は終わった。
その後、大阪では珍しく路面を走る「阪堺電車」に乗って住吉大社に行った。
住吉は、ワンこはあまり行く事はないのだが、やはり大きな神社さまだなと思った。
ここで、おみくじを引き、ワンこにはあまり縁がなかった「大吉」が出、少し良い気分になって帰宅した。
今回は、電車の写真なども撮ろうと考えてはいたのだが携帯をアイホンに変えて間がなく使い方もなれていないため写さずに帰ってきてしまった。
今度は、写真にもチャレンジしたいとおもう。



 話題 渡船に乗って来ました 2021年10月3日 掲載 


本日、新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言も解除されたと言う事で、
ワンこが所属する協会の社会見学に久々参加してきた。

今回は、大阪に長く住んでいてもなかなか行かないであろう大阪市内の
大正地域を渡船と南海のローカル線を使って歩いてきた。
朝は、涼しかったが昼間は10月にしてはとても暑い一日であった。

まず、10時前に大阪市内の桜川と言うところに集合をし、南海電車の汐見橋より津守へ、
落合上 下渡船を使って千島公園まで工場地域や住宅地域を抜け歩いてきた。
今回は、新型コロナ感染に注意しながらソーシャルディスタンスを取りながら30人程度で行ってきた。

ワンこは、大阪生まれだが初めて渡船と言う物に乗った。
  テレビでは見た事があったのだが実際乗ったのは初めてである。
一緒に行った者に尋ねると、まだ大阪には、10路線ほどが営業しているとのことだ。
木津川を2分程度で渡してくれる。 ちょっと情緒もかんじる船旅だ。
でも、乗船所が解りづらく知っている者と行かないと「こんなところに乗船所があるかな?」と思われるところである。

桜川には、ワンこが専門学校を卒業して初めて勤めた病院もあり、今回も前を通って少しなつかしい感じを受けた。
コロナ禍で自粛が叫ばれていたので大阪市内へ行くのもほぼほぼ1年ぶりで少し疲れたが
良い虫干しもでき楽しい1日であった。


 話題 大阪城公園に行ってきました 2020年10月6日 掲載 


10月4日、コロナ中では合ったがワンこが所属する協会の行事で大阪城公園を半日歩いてきた。
曇ってはいたが、30名の参加者と観光ガイドボランティアの協力で普通では立ち止まって見ないであろう「大阪砲兵工廠後」や「天守閣爆撃跡」「陸軍の防空壕跡」等を歩いてきた
いつもなら中国人なども多くごったがヤス日曜日だが、この日はコロナの影響もありゆっくりと歩いて回れた
。 環状線の京橋から森ノ宮まで何故地上を走っているか? は、「大阪砲兵工廠」が近くにあったため秘密情報が見られないようにとか、
昭和の半ば頃まで車の教習所がおかれていたとか?
なかなか今では考えられないような物まであった事を説明しながら回ってもらった。
今は、ビルに囲まれ、コーヒーショップやコンビニまである公園に変わりつつあるが、豊臣秀吉の時代から戦火を受けながらも大阪市民の憩いの場所でありシンボルでもある大阪城をこれからも大事に保存して欲しいなと感じた。


梅林から見た大阪城の写真

  大阪砲兵工廠後の写真


 USJに行って来ました。 2019年 11月5日 掲載 


今年も夫婦恒例の旅行へ行ってきた。
昨年伊勢へ行った時に日程は決まっていたのだがいろいろ有って
今回はグッと近く大阪のUSJユニバーサルスタジオジャパン)に言ってきた。
今年は、天候が変わりやすく雨でない事を祈りながら行ったのだが
1日目は曇ってはいたが雨には遭わず「スヌーピー」の乗り物や「コーヒーカップ」のような乗り物に乗ってきた。
ワンこが絶叫マシーン的なアトラクションに乗れないのを知ってわりあい穏やかな物を選んでくれた。
この日は、軒並みアトラクションの待ち時間が100分を越えていて歩き回っているうちにパレードも終わっていて
シアターで踊りのショーがあったのだがあまりにも遅い時間しか取れなくてそのまま宿泊するホテルへ行った
アトラクションは、普通は立って並んで待っていなければならないのだが
USJはアメリカから入って来た物で障害者には優しく事前に予約をしておけばその時間にさえ来れば優先的に乗せてくれるサービスもあるのだが
予約は1つしか取れず並ばなくても良いだけで待ち時間は健常者と同じ時間待つ事となる。
やはり3連休とあり人は多く、ハロウィンのイベントの最終日にも近く仮装した人もたくさんいた。
今回宿泊は、近くに障害者スポーツセンターに併設されている宿泊棟に泊まる事とした。
ここは泊まっての会議もできる施設でワンこも以前何度かピアカウンセラーの研修で泊まった事もあるところであった。
夕食は、宿泊先にはついていなかったのでUSJの近くの居酒屋でする事にした。
2日目は、朝から昨日行けなかった踊りのショーを見て、
もう一つ「ターミネーターⅱ」などを見た。
午前中はわりあい空いていて待ち時間もあまりなくスムーズに見る事ができた。
昼前より1日目に見れなかったパレードを見るため嫁のため車椅子スペースにて見たのだが
見るために長く待たされてとうとう昼食を取らずパレードを見るはめになってしまった。
15時30分頃までパレードは見たがやはり見ないとこのすばらしさは伝わらないだろうと思うほど良い物であった。
それからおみあげを見、16時過ぎパークを後にしたのだが
出たところでとりあえず食事と言う事でハンバーガーを食べ帰宅した。
今年も天候にはまずまず恵まれた2日であった
来年はどうなるか解らないが嫁の体調がモツ間は年1階の旅行は続けて行きたいとは思っているが……?


USJの写真1
USJの写真2
USJの写真3
USJの写真4


 ぬのびきハーブ園に行って来ました。 2019年10月 6日 掲載 


2019年10月6日、わんこが所属している協会の行事で久しぶり神戸のぬのびきハーブ園に行ってきた。
10数年前に協会でも行っているのだが久々行って見ようと言う事で企画した。
今回もガイドヘルパーと一緒に大阪の京橋を通り大阪駅で乗り換えて三宮へ、
そこから行事に参加する会員とともにハーブ園に行った
ロープウェーを乗ってハーブ園に。
さすが山の中腹に在るだけあって少し涼しかったが日曜日とあって人はたくさんいた。
ハーブ園の露天の鳥のカラアゲやポテトを食べ13時頃から「ハーブガイドツアー」に参加した。
ハーブとはラテン語が語源だそうでいろいろなハーブを触らせてもらったり匂いをかいたりして1時間弱歩いて回った。
最初は、良い香りと感じながら見ていたのだが種類も多く覚えきれなくなり、また香りも嗅ぎすぎるとだんだん何が何やら解らなくなってきた。
その後、ハーブを使ってのスプレー作りを経験し15時30分頃またロープウェーに乗って降りてきた。
前回嫁にプレゼントと言う事で作ってきたのだが嫁に渡したかどうかの記憶がなく
嫁ももらってないと言う事で、今回は、嫁が好きそうな香りを選んだつもりなのだが?
さて……?
最近職場も近くに変わりあまり大阪市内やもちろん神戸方面には行く事が少なくなり少し遠くに感じたが
久々出かけて見るとハーブ園はあまり変わっていなかったが途中の駅がガラッと変わりいなかから出てきた年寄りのようにびっくりしながらの1日であった。

ぬのびきハーブ園のゴンドラの写真


 鳥羽・伊勢に行って来ました。 2018年 7月20日 掲載 


7月15日~16日、毎年夫婦恒例の旅行で酷暑の中、鳥羽から伊勢神宮に行って来た。
今回は、自宅より介助者を頼みワンこにも付いてもらい4人ずれの旅行となった。
朝、8時に家を出て京都の近鉄丹波橋駅より「伊勢志摩ライナー」に乗り鳥羽へ。
鳥羽では、イルカ島への「鳥羽湾めぐり」の観光船に乗った。
30分ほどで「イルカ島」へ、「イルカ島」では、
名前にもなっているようにイルカやアシカのショーを見ル事ができたが、
ワンこはイルカのショーを見た。
ショーは、プールではなく自然の海を囲ったところに今回は、
2頭のイルカがジャンプやクイズをする30分程度の物であった。
クイズでは、イルカの胸びれには骨が有って指のような骨になっているとか?
  目はほとんど見えず超音波を出して障害物を避けているとか?
  イルカの色は背中は上から見て海の色に また、お腹は下からみて光と同化するように
  背中は黒っぽい色 お腹は白色になっているとか?
「なるほど!」と感心をしたり
横を走る船の波や音がショーに影響をおよぼすなど「なるほど!と
納得させられる事ばかりであった。
鳥羽湾めぐりを終え下船後オミヤゲ屋などを見て宿へ。
宿では、嫁と二人で来ていた時は、
大浴場へワンこ一人で行く事ができず部屋の風呂にしか入っていなかったのだが、
今回は介助者がいたため大浴場で1日の疲れをとることができた。

2日目は、朝から宿を出て近鉄と公共バスを乗り継いで「伊勢神宮」の内宮へ、
内宮では、砂利道も走れるようにタイヤが特注の車椅子を借り本堂近くへ、
段差はやはり車椅子では難しいので、ワンこと介助者でお参りをして終わった。
当日は、日本のどこかで39.3度が出ている酷暑の昼頃にお参りをし
「おかげ横丁」で伊勢うどんや松阪牛のどんぶりに舌鼓を打ち
「赤福本店」で定番の赤福を食べ友人のみやげの焼酎なども買い込んで宇治山田駅へ、
昼の一番熱い時間に散策していたので4人とも暑さでバテバテ状態であった。
宇治山田駅を16時頃に出発をし19時前に自宅へ帰宅した。

今回も行く前からいろいろ調べていたが、有名な伊勢うどんや松阪牛 伊勢エビや
赤福餅をたくさん食べ1泊2日ではあったが介助者がいてくれたため
細かなところまで気を遣わずに楽で費用も思ったほどかからず楽しい旅行であった。
「来年は、夏はやめて11月頃にでも行きたいね!」と軽く約束をしたぐらいの
楽しい1泊2日の旅であった。

伊勢志摩ライナーの写真
イルカ島の写真



 神戸クルーズに行ってきました。 2017年 6月 9日 掲載 


  6月4日、結婚記念日には少し早いが10周年を記念し
神戸港周遊の「コンチェルト」に乗ってきた。
ワンこは、今までに2度ほど乗った事があったのだが
嫁のお兄さんから乗船券をプレゼントしてもらったので介助をしていただける人とともに乗ってきた。
神戸港を出港し明石大橋の近くまで回り神戸空港の横を通り2時間で戻るランチクルーズに行ってきた。
料理は、鉄板焼きで季節の野菜や牛肉、バターライスなどを目の前でシェフが作ってくれた。
ワンこに付いていただいていた介助者の女性は、シェフの手さばきと丁寧さに感動していた。
もう一人の介助者の女性は、料理が運ばれてくるたびにデジカメで写していた。
いつも昼食は、さっさと終わらせるワンこだが久々時間をかけて食べる食事も良いなと感じた。
最後に船長からのメッセージカードが嫁に手渡され少しびっくりしていたようであった。
これは、ワンこが事前にサプライズでお願いをしていた物だったのだが、
もう一つサプライズがあり、下船前に船のスタッフから呼ばれ、
「最後に降りていただきますのでここで、待っていてください」と言われ椅子に座っていると、
スタッフがピアノとフルートでカーペンターズの「トップオブザワールド」を演奏しワンこ夫婦のために10年目を祝ってくれた。
これには、ワンこもびっくりして涙が出そうであった。

10年目を記念する大切な1日であった。

コンチェルトの写真



 松江に行ってきました。 2017年 5月 3日 掲載 


 平成29年4月28日~30日、今年も夫婦恒例の旅行で島根県の松江から出雲へ行ってきた。
今年は、結婚10年目と言う事も有り少し思考を変えて障害者の旅行のサポートをしてくれる団体のボランティア様に初めてお願いをしてみた。
初日は、京都より新幹線にて岡山へ、そこから在来線の「やくも」と言う国鉄時代から走っていた振り子式の特急に乗り松江へ
松江では、今回サポートをお願いをしていたボランティア様と合流し、 国宝の「松江城」へ
松江城へは、町中を約50分程度で一週してくれる「レークラインバス」と言う観光向けバスにて向かった。
松江城では、堀を観光船で遊覧するコースもあったようだが、
今回は、城を望む公園や歴史博物館や武家屋敷、この地を開拓した堀尾吉晴の銅像などをぶらぶら散策し、
歴史博物館の中の喫茶店で名工の作られたワラビ餅とおまっちゃをいただきゆったりとした時間を過ごした。
その後、この地のおみあげも買い「レークラインバス」にて1泊目のホテルへ向かった。
今回は連泊をした。
ホテルの誘導なども含めホテルのスタッフのみなさまには大変良くしていただいた。
2日目は、今回の旅のメインである「出雲大社」へ、
ここへは、2両編成のいかにもローカル電車と言われる「いちばた鉄道」に乗って向かった。
「いちばた口」までは、1法は宍道湖が一望できもう片方はのどかな風景が続き、
ここでスイッチバックと言い方向が逆転し「出雲大社前」まではのどかな風景が両側に一望できる電車で会ったが、
少し揺れが大きくて「大社」の駅に着いた時には少し疲れた。
途中の駅の車庫には、「シマネッコ」と言う猫をモデルにしたキャラクターの車両も見る事ができた。
駅からは、ボランティア様の話を聞きながら 「木」 「鉄」 「銅」でできたとりいをくぐり本殿へ、
ワンこは、「大社」の近くへは今までに数度訪れた事は有ったが、「大社」には初めて入った。
以前より一度訪れて見たかったので、わくわくをしていたがいざ入ってみるとそれほどでもなかったが、
本殿に奉納されていた大縄などは大きいなと感動した。
縁結びの神様と言う事で、一度は訪れて見たかったので念願はかなった感じであった。
1時間以上をかけてゆっくり参拝した。
その後、歴史博物館等を散策しながら、この地域では有名な「割子そば」食べに行った。
打ち立てのそばを直径15センチ程度の背の低い平たいお椀に入れ、これが3つで一人前の物で、
そばの上にやくみとだしをかけて食べるそばを食べてきた。
以前ワンこが所属している団体でそば打ち体験を行ってからそばを食べるのが好きになっていたのでおいしくいただいた。
信州のほうでは、「わんこそば」と言う物が有るがお椀がこちらは平たいお皿のような感じが特徴らしい。
そばを食べた後、また「いちばた電車」で「松江宍道湖温泉駅」へ、
そこからすこし湖へ降り湖岸を散歩しながらホテルへ戻った。
3日目は、「いちばた口」駅手前の「松江ホーゲルパーク」駅で降りて「ホーゲルパーク」を見に行った。
駅の改札から園の入り口までは数十メートル程で有っただろうか?
ここは、花と鳥、魚などを見れる施設で、
体調50~60㎝程度の「ペンギン」が鯉のぼりのプラカードを巻いて見学者が歩く見学通路を愛らしくお散歩をする姿を見せてくれたり、
バードショウと題して「ふくろう」や「みみずく」「いんこ」などの特徴を説明したり飛ばしたりするショウを見て
2時間ほど時間をつぶし駅へ、
そこからまた、「いちばた電車」に乗り、「松江宍道湖温泉」駅へ、
そこからまた「レークラインバス」に乗り「松江」駅へ、
ここで3日間お世話になったボランティア様と別れ、「やくも」と「新幹線」を乗り継いで夜に我が家に帰ってきた。
今回は、いつものようにタクシーで回るのではなくボランティア様についてもらって電車やバスなどを乗り継いで見て回る旅行であった。
ボランティア様、鉄道の係員、ホテルのスタッフのみなさまのおかげで
「やくも」や「いちばた電車」の写真がたくさん撮れ、
念願の「出雲大社」にも行け
「割子そば」や「宍道湖のしじみ」などの郷土料理をたくさん食べ
人の温かみにもたくさん触れ、記憶に残る10周年の「松江の旅」であった。
さて、来年はどこへ行こう!
いちばた電車の写真

ホーゲルパークの写真

出雲大社の本殿の写真


 そば打ちに行って来ました。 2017年 3月10日 掲載 


3月5日、ワンこが所属する団体の行事で、「そば打ち」を体験してきた。
ワンこは、数回経験はあるのだがなかなか難しかったが楽しい経験であった。
当日昼の12時頃体験をさせていただけるお店に到着、
5~6人の班に分かれほぼマンツーマンにて店の職人さまに指導していただいた。
店に到着後エプロンを着け手を洗い「そば打ち」が始まった。
今回は、そば粉が8で小麦粉が2の「にはちそば」を作る事になった。
まず、ざるでそば粉とつなぎになる小麦を篩いにかけさらさらのパウダー状態にし、
そこから水を何度かに分けながら入れて行き細かなパン粉のような状態に
手を猫の手のようにしうまく混ざるようにして行くのだが
なかなかうまく混ざってはくれなく職人さまに手伝ってもらいながら進めた。
水の量は、季節や温度によって量を調整するようだ。
混ぜて行くとそば粉の良い香りが立ってきた。
ここでうまく混ざらなければ仕上がりに影響するようだ。
その後、それを集めながら一つのボール状から円錐状にこねて行き、
「菊ねり」と言われる菊の模様を付けるように円錐状にねって行く。
ワンこは、仕事上上から体重をかけねって行く事には密かに自信があった。
ここからは、2本の違う棒を使って伸ばして行くのだが、これがまた難しくしわを作らず
均等な厚さの60㎝角のきじにまずは、円形からその後視覚に伸ばして行くのだが、
均等に力を入れないと厚さに均等にならず付いてもらっている職人さまにつきっきりで
見てもらいながらなんとか完成した。
ここで雑にすると食感が変わるのだろうか?
なんて思っていた。
60㎝四方の生地を三つ折りにした生地の上に板を載せ
それに沿って家庭で使う庖丁より大きな専用の物で切って行くのだが
なかなか均等に切ることも難しくワンこの手に職人さまが手を添えて切ってくれた。
同じ太さに均等に切る事は難しく形的には、ワンこが自分で切っているように
見えていたかもしれないが、ほとんど職人さまが力を入れていただくのに合わせていたと
言う感じであった。
これが一連のそばの完成であったが、
ここから面の太さやその日の状態により微妙にゆでる時間を調整するらしい。
その後、試食タイムとなりどんぶりにおろしややくみ、だしなどが入った
自分が撃った打ち立て湯がき立てのそばが運ばれてきた。
ワンドリンクが付いていてワンこはビールを頼んだのだが
打ち立てのそばを食べて失敗をしたと反省した。
打ち立てのそばは腰が強くそば本来の香りもありおいしいと感じたのだが
その後ビールの味でそばの本来の味を楽しめず少し残念な感じであった。
そばは、打ち方にもよるのかも知れないがそば粉の量によっても腰の強さが決まる事を
店の職人さまより聞く事ができスーパー等で売られている物は、
かなりそば粉のわりあいが減らされているようだ。
5人前ぐらいを各自で打ち1人前を試食として付き添いの者にも食べてもらった。
後の残りはおみあげとして持って帰る事となった。
翌日家族の者と食べたが 「おいしい」とは言ってくれたが湯で方が悪かったのか
麺が固まり少し食べにくい感じであった。

 

 話題  水陸両用バスに乗って来ました。  2017年2月17日 掲載


2月11日ワンこが所属する会の交流会で、
以前より一度乗りたくて気になっていた水陸両用バスに乗ってきた。
陸上と川を走る75分のダックツアーに参加してきた。
乗り降りする出入り口がタラップになっていてそれを登って乗り込むようになっている
40人弱ほどの定員のバスで、タイヤは普通のバスより少し小さい感じであった。
大阪の天満橋のキャッスルホテルの川側に乗り口が有り、
大阪城の横をとおり役20分程度走った後公園らしきところより大川に入って行った。
水陸を行くと言う事で、陸上を走る運転手と川を走る船長は、この公園で交替となる。
ここから造幣局の横を通り橋をいくつかくぐり中之島の近くまで川を下り
また元の公園まで戻り陸上を走り最初に乗ったところへ戻るツアーで有った。
案内をしてくれる女性乗務員が、大阪の歴史などをおもしろおかしく説明をしてくれた。
窓ガラスがない乗り物で、2月としては小雪が舞い散る寒い日出有った。
何故窓ガラスが亡いのかわ、川を走る時は船と見なされ総トン数が決まっていて
窓ガラスを入れるとトン数が超えてしまうと言うのが理由らしい。
その後は、キャッスルホテルでおいしいディナーを食べて堪能して帰ってきた1日であった。


水陸両用バスの写真


 話題  能登へ行って来ました  2016年5月3日 掲載


  今年も、夫婦恒例の旅行に、混み合うのを承知にゴールデンウイークの前半戦に、
石川県の能登半島を1周しようと、行って来た。
  初日は、京都から サンダーバードに乗り込み 和倉温泉へ、
そこから タクシーで観光をして回った。
  偶然 その日より、春祭りの幕開けで、「引山」や 「花嫁のれん」を見せてもらった。
「引山」とは、京都の祇園祭りで使われる 「山」のような物で、タイヤがあり、
直径が2メートル程有り、総トン数は、数十トンにもなろうかと言う物を
百人程度の人で、引っ張るようだ。それに いろいろな装飾をするようで、
祇園祭りの 「山」のように、辻を曲がるところが見所らしい。
 また、「花嫁のれん」は、のれんに 飾りを施した物らしく、店先などに 広げて飾って有った。
 能登鉄道にも、真っ赤な専用列車が、週末や 休みの時の限定で、走っているようだ。
その日は、和倉で宿泊し、
2日目は、おみあげを購入した後、能登半島1周のドライブに出発だ!
 「軍艦島」 「縁結びのかね」等をみながら 最北端の 珠洲市へ、
NHKの 朝ドラの「まれ」の ロケ地ににもなった 「塩田」 「役所跡」等を見、
元主総の 小泉さんも絶賛され 残されている、「千枚田」なども見て、
半島を縦断しながら 「ひりこ会館」へ行った。
 この 「きりこ」は、これまた 秋祭りに練り歩く 「きりこ」と言う物を展示している会館であった。
 「きりこ」は、「引山」とは少し違い、大きな物ハ、ビルの4階建てぐらいの高さの物に
 文字が書かれていて 明かりもつくようになっている物のようだった。
これを かついで練り歩くようで昔は、大きな物もあったようだが、
今は、 電柱などの関係で、少しコンパクトになっているようだ。
すでに引退をして 展示している物もあれば、まだ 祭りの時に出して使っている物もあるらしい。
2泊目は、輪島に止まった。
  3日目は、輪島の朝市をみた。
やはり 休みとも重なり、たくさんの人が、出ていた。
海辺に近いと言う事で、海産物を売る店が 多かった。
売り手の お母さんの家で、作られている物が多く、お客さんとの掛け合いを
聞いているのも 楽しくなった。
 そこから、昨日 通り抜けて来た 「千枚だ」を見て 昼過ぎに 和倉温泉駅に戻ってきた。
そこから 「能登かがり火」と言う特急と サンダーバードを乗り継ぎ 京都へ、自宅に帰宅した。
 「能登かがり火」と言う 特急がありますと 聞いていたので、
また 電車の写真が撮れるな! と、期待していたのだが、
能登鉄道に入る サンダーバードの車両の一部を そう読んでいるらしく、
少し残念であった。
旅行社の人が、「花嫁のれん」と 間違われたのかもしれない。
今回も、郷土のお祭りや、ドラマのロケ地に等にも行け、
宿では、おいしい新鮮な魚貝類をたくさん堪能する事ができ、
タクシーの ドライバー様、宿のスタッフのみなさま等に助けられ、
日本人の 「おもてなし」の心にも触れ、堪能した2泊3日の旅であった。

現実は、職場を解雇されそうな感じで、少し 心は乱れているのだが、
また 働く活力をいただいたような気がした。


  引山の写真
きりこの写真

千枚田の写真

 

 話題 東京へ行ってきました。  2015年11月20日 掲載


  平成27年11月13日~14日、夫婦恒例の旅行で 東京へ行ってきた。
今年は、夏に金沢へ行く予定でいたのだったが、台風18号が 関西を襲来し 鉄道が麻痺し行けなかったのであきらめていたのだが、
東京で例年行われている 朗読ボランティアとの交流会に参加するついでに、スカイツリーを見に行きたいと言う願望が膨らみ 行ってきた。
13日 昼間で仕事をし、14時36分 京都発 のぞみに乗り込んだ。
その日は、東京のホテルに1泊した。
さすが、外国からの観光客も多く少しびっくりした。
14日 朝から、観光タクシーで 水道橋や、浅草、秋葉原などを回ってもらい、スカイツリーを見て、交流会の会場へ 行った。
朝 観光タクシーに、迎えに来てもらったのだが、ワンこが、想像していたのは、普通のタクシーを考えていたのだが、
七人乗りの 少し大きめの タクシーが横付けされたのには 驚いた。
この、タクシーに 夫婦 二人と言う、少し リッチな気分での観光であった。
東京大神宮や、大学発症の地、秋葉原の 電気街点、飴横、浅草の浅草寺などを回ってもらった。
ここで、以外に 本当の住所名より、通称名で呼ばれているところが多いな! と感じた。
 スカイツリーは、一度訪れて見たいなと思っていた。
今回は、 スカイツリーを見に行きたくて 急遽、計画を立てた。
でも、天候が悪く、雨が降っていた事、次の予定があった事などもあり、展望台には上らず 足下から見て回った。
1階に、スカイツリーと、東京タワーが 写っている写真があり、その前で、写真を写したのだが、
東京タワーは 300メートル少し、スカイツリーは 634メートルと 倍ほどの高さがあり、
写真を見ても 足下から見ても 本当に、どでかい建造物だなと 感じた。
この 町中に、こんな物を おっ建てるとは、日本の技術も すごいなと感じた。
周りには、店舗も有ったようだが、観光地にしては、以外に おみあげ屋などが少ないなと感じた。
やはり、テレビで見るより 100聞は一見にしかず と言う諺通り、現地に行き 大きくて高い 電波塔だなと感じた。
写真を写そうとしたのだが、 塔の足下しか写らないと思って考えていたら、
ドライバーさんが、「近くの見せに 鏡があり、これで写せば 全体像が写りますよ」と言う アドバイスで 写してはみたが、
できあがりは なかなかきれいには写すことはできなかった。
  昼からは、交流会に参加するため、会場近くまで 送ってもらった。
おいしい物を食べ、仲間と わいわいおしゃべりをしていると時間のたつのも忘れ、気がつくと 終わる時間になっていた。
楽しい事をしていると、時間の過ぎるのは早い物で、18時20分 東京発の のぞみにて、 帰宅の途についた。
今回は、半分あきらめていた旅行だったので、急に思い立ち いつもながら慌ただしい行程の中 行ってきたため、
十分に見られなかった所もあったが、楽しい二日間であった。


 

 話題 プロ野球の交流戦に行ってきました 2015年5月31日掲載


  平成27年 5月27日、友人に誘われ 甲子園で行われた 日本生命主催の セパ交流戦 阪神 対 楽天戦を観戦しに行った。
数年前に、 阪神電車甲子園駅には、 甲子園見学ツアーで訪れた事があったが、
球場への専用通路などもできており 少し驚いた。
  球場では、1類側の外野席で観戦をしたのだが、
何度来ても 試合前の歓声には独特な物があり、テレビや、 ラジオでは味わえない雰囲気に包まれており
 応援団のラッパの音や、 観客の応援合戦、 それに 売り子さんの声など 現場ならでわであった。
  また、 ホームランや打点を挙げた選手には、 年俸とは別に 賞金や賞品が与えられるらしく そんな、 アナウンスも流れていた。
  ビールなどを売り回っている売り子さんは、重たいであろう ビールのタンクなどを背負って、 スタンドを上がったり降りたいしていて、
 かなりの体力がいるだろうな と思った。
 ワンこの目では、スタンドから グランドの選手の姿は見えず、 ラジオを片耳で聴きながらの観戦となった。
5月にしては、昼間は暑いが 夕方から夜にかけては、 浜風もふき気持ちよく観戦ができた。
 試合が始まると、 こちらのチームの攻撃中は、 ラジオの音が聞き取れないほどの歓声で包まれた。
 始まってみると、 時間も忘れて夢中で応援している ワンこがいた。
 甲子園には、内野の屋根の上と 1類 3類側に各2つずつ 大きなライトがあるのだが、
夜になってもけっこうな明るさが有り、 これなら、 昼間と変わらずプレーができるなと感じた。
 試合は、10回まで 投手戦でヒットは出るものの 得点には結びつかず 延長戦で
   阪神の福留の ホームランで試合が決まったようだ
 と 言うのも 、次の日仕事だったワンこは、 9回を終わったところで、 友人と球場を後にしていた。
10回まで投げた、 藤浪には勝ち投手にはならず、リリーフのピッチャーが勝利投手になっていた。
 後でネットで調べると、先発は、5回を投げ 勝負を左右する点が入らないと、勝利投手にはなれない事を知り、
 10回も投げ勝利投手になれないトは、少し矛盾しているようにも思えた。
家に帰宅したのは、 10時半ぐらいであったろうか?
翌日は、少しからだが重いように感じていたが、また、 機会が在れば、 行ってみたいと思う。

 

 名古屋 桑名 長島へ行ってきました 2014年 5月10日 掲載 


  今回も、夫婦恒例の旅行に ゴールデンウイークを使って行ってきた。
今年は、職場の経営者が変わったと言う事もあり 休みのシフトがどうなるか解らなかったので、
混み合うのを承知の上で ゴールデンウイークの後半戦を使って 名古屋 桑名 長島へ行ってきた。
初日、当日の朝 9時前の新幹線に乗り名古屋へ、
指定を取っていたため 座れたが、やはり 自由席は、通路に立たれる人もいるほど 混み合っていた。
名古屋から、あおなみ線に乗り 金城ふ頭へ、
初日の目的地である 「リニアー鉄道館」へ、
ここは、JR東海が経営しているところで 昔走っていた 汽車から 最新の鉄道を展示 触れるようになっており
 運転シュミレーターや ジオラマなども 展示されて有り 1日 楽しめる施設である。
おみやげを売っている場所もあり、2階には、売店や 休憩所などもあった。
列車を展示しているところには、鉄道ファンなら 「走っているところを見ると幸せになる」と 伝説の、
新幹線の架線を走りながらチェックをする 「ドクターイエロー」も 展示されており、
にこにこ顔の ワンこを あきれ顔で見ている嫁がいた。
 夜は、久々出会う 名古屋の友人と、3人で 金山駅の近所の居酒屋で、 名古屋名物であろう 「味噌カツ」や 「どてドン」を 食した。
1泊目は、繁華街の 栄えにて 泊まった。
二日目は、あいにく雨で タクシーで 「明治村」へ行ってもらう予定であったが、
天候や 嫁の体力も考え、 急遽 市内や 江南市の 藤祭りが行われていた 曼荼羅寺などを 観光で回ってもらい
 平田町の 2泊目の宿へ。
藤祭りでは、あまり見られない白色の物なども 見る事ができた。
最終日は、宿から 長島の 「なばなの里」へ 行った。
話には聞いていたが、 色とりどりの花が咲いていて ワンこも楽しく見て回った。
行った時は、春祭り(チュウリップ祭り)が行われており
色とりどりの チュウリップを、見る事ができた。
帰りは、近鉄で 京都周りで 夜7時前に 家にたどり着く事ができた。
今回は、道が解らず 日本人のワンこが、外人に 道を尋ねたり、
タクシーが 思うように来なく ひやひやしたが、
今回も、名古屋の 「味噌カツ」や 桑名の 「ハマグリ入り釜飯」を食べ、
好きな電車の写真も撮れ 少し疲れたが、楽しい3日間であった。

ドクターイエローの写真

なばなの里の写真

なばなの里の写真 2枚目

 

甲子園に行って来ました 


10月6日、 ワンこが所属する協会の社会見学で 甲子園のスタジアムツアーに参加してきた。
 当日の、朝10時に阪神電車 甲子園駅に集合して 球場へ。
40名弱の人数で 球場スタッフの後について 約50分程度のツアーの始まりであった。
まず、球場の中は、ワンこには暗く 狭い通路がたくさんあるなと感じた。
まず、通されたのは、タイガース以外の球団が使う 三塁側のブルペンと言われる
 ピッチャーが練習をする ところであった。
印象は、広いなと感じたが
ホームベースが 3枚ほど置かれていて、同時に 3人が投球するには 少し狭いかなとも感じた
ここは、昭和初期 総合運動場の室内プールの名残のあるところだとも聞いた。
ここで、選手が 以前使っていたと言う ユニホームや 帽子 グローブ バットなどを
見せてもらった。
バットは、ワンこが、子供のころ 学校の体育で使うような物ではなく、かなり重い物であった。
これを、プロは、軽々 振り回すのだから、やはり プロは、腕力がすごいなと感じた。
その後、狭い通路を通って ロッカールームへ。
ここも、タイガース以外の球団の選手が使うところで 以外に狭いなと感じた。
一塁側の タイガースの選手が使う ところとは、違っていて
ホーム球場で 使っている選手と その他のチームの選手との 扱いも 少し違うのかと感じた。
ロッカールームの見学を終えて ベンチ浦へ。
以外に、狭いところで ホームをチェックしたり、試合のための体を 暖めるのに使うんだなと思った。
ここから、ベンチへ。 また、グランドへ
ベンチは、以外に 狭く グランドより少し低い位置に設置されているので、
選手にサインを送る時は、やはり ベンチから出て 送るらしい
ワンこは、背が低いので、座ったらグランドが見にくかった。
グランドは、やはりきれいに整地されているので、人工芝以外のところには入らないように
また、土を持ち帰らないようにと 固く言われた。
ここで、前の日にテレビで、阪神戦を見ていて 芝生が、交互に色が違うところがあるのを発見し、
案内をしているスタッフに尋ねてみたところ
 機械で芝生を刈る時に付く模様で わざとそのようにしているわけではなく 機械が付ける模様である事が解った。
サッカー場なども、よく似た模様を目にするが、やはり同じ理由からかもしれない。
そこから、アルプススタンドへ。
高校野球の時に、ブラスバンドの生徒が座るところや、
ファールボールと ホームランボールを区別する ポールなどを見て ツアーは終わった。
その後、記念館へ。
ここは、高校野球の名場面や 選手が使った ユニホームや バットや
歴代の 優勝校のパネル
また、 プロの法では やはり ユニホームや ボール
タイガースの選手の背番号の一覧などを見る事ができた。
横から、スコアーボードの下に出れる通路もあり 出てみた。
以前は、手書きで書かれていたのだそうだが 今は、電工で表示できるようにもなっており、
近くで見ると やはり、でかいなと感じた。
そこからも、球場が一望でき カメラマン席や、バックネット浦にある 貴賓室も見る事ができた。
当然、 入る事は許されないところであるが
  一概に 甲子園と行っても、いろいろな施設がある物だなと感じ
やはり 甲子園は、タイガースと 高校野球の聖地だと感じた。

3塁側から見た甲子園の写真
タイガースのヘルメットの写真


広島へ行って来ました 


   今年も、夫婦恒例の旅行に 14日~16日行ってきた。 今年は、広島へ行ってきた。
14日 朝 九州新幹線の「みずほ」に乗り広島へ。
自由席を取っていたので、座れるかどうか解らなかったが うまく座って行く事ができた。
広島から、JR宮島口へ 10分ほどの船旅の後、宮島へ。
宮島では、「大とりい」や 世界遺産の「厳島神社」を見て 人力車にも乗った。
9月には珍しく、真夏日の熱い日であった。
さすが、昨年の大河ドラマの影響も有り また、海外からもたくさんの観光客が訪れていた。
島の観光案内で詳しい地図をもらおうと行ったところ、ワンこを見た案内書の人が
、点字のパンフレットも貸してもらえた。
さすが、世界遺産と少し感心をした。
「大とりい」を見て写真を写していると 手に持っていた文字のパンフレットを
鹿に食われてしまった。
鹿も、ここには多く、写真を写すのに夢中になっていたら食われているのを知らず、
観光客の人に言われて気づいたが、時遅しであった。
仕方がなかったので、点字の物を見ながら 「厳島神社」を1週した。
海も干潮で、大とりいまで歩けるような感じであった。
その後、人力車に乗りに行った。
最近の旅行では、人力車に乗るのも一つの楽しみになっている。
人力車では、メインの通りだけでなく、今の季節 みんながあまり行かない
「もみじ谷公園」と言う もみじで有名なところへつれて行ってくれた。
この島には、もみじも多く 「この葉の形」から また、「子供の手の平の形」を模して
「もみじ饅頭」が考案されたとも説明を聞いた。
参道は、人がいっぱいだったが、一辻入ると 人もあまりおらず
昭和初期の雰囲気を醸しだす町屋の姿を見る事もできた。
島を1週してくる頃には、海も満潮になってきており 大とりいまでの砂浜は、
すっかり海の中と変わっていた。
その後、島を離れ 銘菓の 「もみじ饅頭」を買い 1泊目のホテルにへ、
ここでは、今はやりの 「O MO TE NA SIーー おもてなし」の心や、おいしい料理
ゆったりとした時間を、過ごせ 堪能した1日目であった。
 2日目は、ワンこに取っては、この旅行で、メインと言っても良い、呉の方へ向かった。
呉では、海上自衛隊の、潜水艦基地を船上見学した。
映画や、テレビでは、姿を見たことがあったが、本物の船体を見るのは初めてで、
黒光りした船体を見ると、少し不気味な感じを受けた。
潜水艦は、水面に出ているところより 水中に隠れている部分の方が、
遙かに大きいと言う事も聞き、また、その船がどれくらい潜れるか等がわかるような部分は、
しっかり隠されていて シークレットが多い船である事も説明で聞いた。
また、以外にたくさんの船員が乗る事も聞き、長い間狭い中での生活も大変だろうなと思った。
また、呉は、あの、日本海軍最後の巨大浮沈艦 「大和」を建造したところでもあるらしく、
その名残の ドックの柱などもみる事ができた。
平成に入り、建造された その、ドックは、埋められているとの事であった。
    その後、遊覧船乗り場横の「呉市海事歴史科学館・ 大和ミュージアム」へ、
「大和」については、テレビ等で見てはいたが、入り口に展示されていた 
1/10の大和の模型をみて 「でかいな」と言うのが 第1印象であった。
この船に、3千人以上の若者を乗せて、最後に出撃していった拝啓や船員の気持ちを
想像すると、戦争の悲惨さや、船員の必死の覚悟など、
その時代のいい知れない思いが ひしひしと伝わってくるようで
ここは、呉市の歴史と 大和のために 長く、残すべきところと感じた。
広場には、「大和」の大きさを体感できるようになっているところもあったらしいが、
時間の都合もあり、ワンこは、行く事ができなかった。
おみやげを売っている ショップで、1/2000の 「大和」の模型を買って
にやにやしている ワンこの横で、あきれた顔をしている、嫁がいた。
その後、「ヤマトギャラリー零(ZERO)」にも行ってみた。
ここは、 「大和ミュウジアム」から少し離れた 呉中通商店街(れんがどおり)の中に
ひっそりあった。
なかなか見つけられず 人に聞き聞き、やっとたどり着いた。
ここは、「大和ミュウジアム名誉館長」の 漫画家松本零士さんの、
魅力に触れるギャラリーで、資料や 模型などが展示されていた。
呉の駅に戻り また、 ビックリ!、列車が入港する時のチャイム音が、あの、
「宇宙戦艦ヤマと」のテーマソングが使われていたのには、少し驚いた。
夜は、広島へ戻り 「広島風 お好み焼き」に舌鼓を打ち
大和(ヤマト)ざんまいの満ち足りた。 2日目であった。
3日目は、大変で、 台風18号が日本列島を縦断し 朝から、 ワンこの携帯は、
「防災メール」のオンパレードであった。
台風の、被害に、あった地方もあったようだが、広島は、2日目に、
傘がいらない程度の雨が降っただけで、この日も晴れていた。
少し風は強かったが。
タクシーで 市内観光と言う事で 「縮景園」や 「原爆ドーム」 「原爆ドーム資料館」
「広島城」などを見て回った。
 原爆ドームや、資料館では、いつ見ても不気味で、60年以上前に、 人や町を一瞬で
変えてしまった、 原爆の恐ろしさを 再認識した。
今では、この当時のナン倍の威力を持った物が、数カ国 保有されているらしいが、
実際の兵器として広島、長崎に落とされた日本としては、
この悲劇を伝えて行かないといけないのかな? とも感じた。
でも、ドームも、60年以上も、 そのままの姿で保存するのは、難しく
何度か補修工事が行われているらしいが、壊れそうになっている物を
そのままの姿で補修すると言うのも、何か、おかしな感じもした。
帰りは、また 大変で、台風18号の影響で、 鉄道が軒並み寸断されていて、
ワンこも予定より数時間早めて帰宅の途についた。
新大阪に着いた時は、ホームやコンコースは、人であふれかえっていた。
今回も、ゆったりとした旅行を満喫して帰ってきた。

厳島神社の大とりいの写真

1/2000の大和の写真


タンデム自転車を乗って来ました


   平成25年3月17日 ワンこが所属している
 大阪府視覚障害者福祉協会のイベントで タンデム自転車 乗車体験会が
 大阪市内の 「大野川緑陰道」を会場に開催され参加をしてきた
ある会の協力も有り
視覚障害者25名が 半日 楽しませてもらった
タンデム自転車は 縦に二人並んで載る自転車で 前に載る人を 「パイロット」と言い
  後ろに乗る者を 「ストーカー」と言って 二人で協力をして 載る自転車である
ワンこも 子供の頃は一人で自転車にも乗れたのであるが 今は 一人で乗ると
周りの人を危ない目に遭わす可能性が高いので乗らないようになって すでに20年ほどになるが
今回は 久しぶりに楽しい思いをさせてもらった
天気にも恵まれ 午前10時に 大阪の 東西線の御幣島と言う駅に集まり
会場の 「大野川緑陰道」に移動をし 開会式と 簡単な諸注意を受けたあと 乗車をした
今回は 「大野川緑陰道」の 片道 2キロ程度のところを 往復すると言う
コースで行われた
はじめ うまく乗れるかなとも思ったのだが 子供の頃に憶えた感覚は すごい物で
 20年以上たった今でも健在であった
走り出すと スムーズに動き出し 後は ワンこの スピード強も手伝って
自分では こんなスピードで走った事がないようなスピードで走っていた
前に載るパイロット役の健常者のボランティア様も 「後ろで力強くこいでもらえるので
  楽だな」と言っていただいた
イベントもスムーズに進み 「少し早く終わりそうなので 載りたい人は どうですか?」
と 尋ねられた時 一番に 「はいはい」と手を上げていた ワンこがいた
妻も 「子供のよう」と ちょっと冷ややかであった
と 言う事で 2度 同じコースを走った
たぶん 明後日ぐらいに 筋肉痛で苦しむワンこがいるだろう(笑い)

  でも この タンデム自転車 買うとなると 中国産で7万ほどするらしい
高い物は数十万する物もあるらしい
大阪では公道を走っても良いと言う許可がなく ワンこが所属する団体でも 常例を
作ってもらうように運動をしているが 後輪が 二つ有る物は許されているようであるが
兵庫県や 一部の他県で許可されているだけで まだ 大阪では許されていない
ただ 最近 自転車同士でのいたましい事故が多発している
ルールを守り 安全に乗れば これほど 自然にも優しく 運動になる エコな乗り物はないと思う
視覚障害者にも このような物で サイクリングの楽しみができる世の中に早くなれると
良いなと感じた1日であった
最後に 今回のイベントで協力を得たボランティア様に 感謝をしたい


タンデム自転車の写真




交通科学博物館へ行って来ました


平成24年11月27日に ある視覚障害者の支援をする会の集まりで
「視覚障害者がホームから転落事故防止するためには」をテーマに
大阪の弁天町にある 「交通科学博物館」で行われた研修会に行ってきた
子供の頃 良く遊びに行ったところだが 大人になって行って見ると
館内は こじんまりとコーナーが分かれており 昔のイメージと 少し違うなと感じた
JR西日本からも 3名の職員の方が来ていただき 前半は 「危険防止の取り組み」や
ホームに設置されている 緊急停止装置などの話を聞いた
集まった 視覚障害者からは ホームからの転落した時やしかけた時などの経験が発表された
ワンこも 2度ほど 落ちかけた経験を持っている
後半は 施設内に移築されているホームや 線路を使って
ホームから電車に乗るさいの注意や 線路側に降りて ホームまでの高さや
  線路の形状 等も触らせてもらった
普通ならじっくり触って確認する事が難しい物を触らせてもらい
良い経験をしたなと感じている

電車に乗る時は まず 白杖を車内に差し入れ その横に足を踏み入れ乗車すると
ホームから落ちる心配はないとも説明を受けた
  もし 不運にも落ちた時は 声を出して助けを呼んで 緊急防止のスイッチを押してもらう事、
線路に寝そべって客車と線路の間で助かろう等とは思わないで欲しいなど 言われていた
1日 楽しい また 有意義な研修であった




  

だんじり祭りの試験引き  


平成24年9月2日 ある視覚障害者の支援グループより だんじり祭りの
試験引き見学のお誘いをいただき妻と一緒に見てきた
12時30分に 大阪難波駅に集まり
だんじり会館の見学
試験引きの見学をし
  グループに入っている人が手伝っている焼き肉屋にて焼き肉を食べて帰ってきた
 だんじり会館で説明を聞いたが 1台のだんじりを作るのに発注をしてから
   5年ほどかかり ケヤキから作られ 彫刻も彫られ
  一台が 約2億5千万ほどかかる物もあるらしい
   だんじりには 雄と雌が有り それによっても掘り方が違うらしい
  一台 四トンの重みが有り 数百人にて 本番では動かすらしい

だんじり祭りでは 毎年けが人や死者が出ているらしいが
だんじりのてっぺんで踊っている者(大工がた)が滑り落ちて死ぬ事は未だないらしく
 一番多いのは
  だんじりを前で梶をとる 「前こて」と言われる人が多いらしい
「前こて」と「後ろこて」 それに 「大工がた」を合わせて「ツナモト」と言われるらしいが
   岸和田の男たちの夢は前小手を任される事らしい
けんか祭りと言われるのは 道の向こう側と手前から違う丁からのだんじりがすれ違う時
普通なら 纏を上げて どちらかが譲 約束になっているらしいが
        お互い譲らない時に お互いにもみ合いになるらしい
  これが 「けんか祭り」と   言われる言われと説明を聞いた

会館では 最古のだんじりも展示されており 近々国宝に選ばれる事らしい
また ミニチュアのだんじりや ふとん太鼓なども展示されていた
見学を終え 試験引きの会場へ やはり ここでは 岸和田の男たちの勇壮さが
  光って見えた

最後は 会の人が手伝っている焼き肉屋で食事をし 夜8時頃家に帰ってきた
1日 疲れたが 大変有意義な日であった

だんじりの写真1


だんじりの写真2


だんじりの写真3




24年のゴールデンウイークと ワンこ



 今年も また 妻と一緒に2泊3日で命の洗濯旅行に行ってきた
今回は、結婚をし初めて四国の土地を訪れた
今回は道後周辺と徳島を中心に観光をした
新大阪から新幹線で岡山へ
岡山では友人と出会い楽しい一時を過ごした
ここからは 瀬戸大橋線のシオカゼに乗って一路松山へ行った
久しぶりに瀬戸大橋を渡ったが
さすが宇宙からも解るぐらいでいつ見ても巨大な建造物だなと思った
  この日は 奥道後で宿泊
次の日は 朝から 「人力車」に乗り
  正岡子規記念館や からくり時計などの説明を受け
夏目漱石の小説の名前にも由来すると言われている 「ぼっちゃん列車」にも乗車した
「ぼっちゃん列車」は 今は環境に配慮し今はディーゼルで走っているらしいが
当時と変わらずに復元されているらしい
松山市内を昼頃後にして
次は 徳島へ高速バスで向かった
徳島へは夕方に着き 駅前のホテルで一泊
最終日は 観光タクシーでワンこの知り合いに教えてもらった
「土柱」と言われる山の侵蝕ににより柱状に見えるところで 全世界で三カ所しか亡いと言われ
日本ではここだけの物を見、
「阿波踊り会館」などを見 「徳島ラーメン」を食べ 夕方には 徳島駅に戻ってきた
徳島ラーメンは トンコツで 4時間以上煮込んだ方がうまいらしい
その後 また 高速バスに乗り 大鳴門橋 明石大橋を渡って 午後7時に大阪駅に帰ってきた
今回も それなりに楽しい 命の洗濯旅行であった

ぼっちゃん列車
からくり時計
土柱



ヨットとワンこ


平成23年 7月3日 ワンこの 友人の知り合いにお願いをして ヨットに初めて乗せてもらってきた
今回は ワンこの所属する協会の行事の下見を兼ねてと言う事で
協会が入っているセンター職員、 会の部長 それに ワンこ  友人  それに 付き添い者も加え 総勢 8人で乗せてもらってきた
フェリーや 遊覧船などのような船には何度も乗った経験はあったのだが
ヨットは初めてで 少し わくわくした気持ちと 不安が入り交じっていた
今回は 大阪の二色浜ヨットハーバーから 出港し 田尻のヨットハーバーまで 往復 約 3時間のセイリングであった
友人もヨットを持っているのだが 今回は人数が多いと言う事で 友人の知り合いの人に乗せてもらった
二色浜に着いて まず 友人が 「おもしろい物を見せてあげよう」と 陸に上がっている 自分のヨットを見せてくれた
浮かんでいる船はよく見ているが 陸に上がっている船を下(船底)から見たのは あまり経験がない事であった
ヨットの船底には 「キール」と言われる 船の重さの半分ぐらいのおもりが着いており
これがあるから 転覆はないんだよ」と 教えてもらった
また スクリュウも 触らせてもらったが 大型のプラモデルのスクリュウのようで
こんなので走るのかなとも 思ったが
友人の船は 割合早い速度がでるそうだ
昼の 11時頃 港を出港した
乗船については
ハーバーの建物から 幅2~3メートルほどの 両側に柵もない浮き桟橋を数分歩き
停泊しているヨットまで歩いた
ヨットに着くと桟橋から 約 1メートル弱の高さにある
サイドデッキ(船の横)に足をかけて
艇長(今回は知り合い)の指示するところを持ち
ライフライン(船に張られたワイヤー)をまたいで乗船するのだが
ワンこのような視覚に障害のある者には難しいかな?と 最初は思ったが
艇長が うまく指示をしてくれたので 難なく乗船することができた
ワンこの嫁も 腕に力がないのだが 少し手助けをすれば乗船することができた
「少し 怖かった」と言っていたが 難なく一緒に乗船することはできた
艇長の言う事を聞いていれば 以外に安全な乗り物だなと感じた
中は 10人ほどが座れる 場所があり また 前には キャビンと言って
ソファーと 机、簡単な 料理ができるような洗い場などが有り
以外に狭いながら広くスペースが 取ってある物だなと感じた

港を出るところまでは エンジンで 走っていたのだが ある程度 外海へ出たところでエンジンを止め
後は 高さ12メートルほどあるだろうか マストに 帆を立てて走らせてくれた
風の向きにより 走るのだが ティラー(舵棒)により 操船するようだ
ワンこも 数分間だったが 艇長の指示のもと 操縦のまねごとをさせてもらった
エンジンで 走っている時も 帆を立てて走っている時も 以外に揺れず静かな乗り物で
自然を感じながら気持ちのよい乗り物だなと感じた
ヨットは 風にのって早く動く時は やや斜めになるらしい

関西空港の連絡橋の下をとおり 田尻の港へ上陸
そこで アナゴどんぶりなる物を食べさせてもらいながら
1時間ほど楽しく話をした
友人の知り合いって 出会う前までは どんな人だろうと ちょっと びくびくしていたが
以外に 話しやすい人で ホットした
アナゴは今朝上がった物らしく おいしくいただいた
ゆっくりしたところで また ヨットに乗り込み 二色浜へ
  なかなかない体験をさせてもらった1日であった
ワンこから 見ると ヨットを持つと言うと 「お金持ち」と言う イメージがあったが
車 一台持ったと思える程度の費用で持てるらしい
また 停泊させてもらう港も いろいろな値段があるらしい
今回も ヨットについて いろいろ教えてもらい 楽しい1日を過ごしてきた
今回のヨットの写真



23年のゴールデンウイークとワンこ


  今年は 5月3日~5日にかけて 九州の博多ー熊本ー阿蘇山ー由布院ー博多と言う
コースで行ってきた
 ワンこが 3月12日に開業した 「九州新幹線」に乗りたいこと、
妻が以前 阿蘇に行きながら火口が見れなかったこと、
  ワンこが妻に由布院ののどかさを見せたかったことを目的に行ってきた
 3日 九州新幹線 「さくら」に乗って 新大阪から 熊本へ
8両編成のワンこの乗った車両はグリーン車の前の指定席で
  この車両のみ 半分がグリーン車 半分が指定席と言う
今までの新幹線にはちょっとない車両であった
 おちついた社内は木目調で統一されている 2列 2列の座席で
今までの新幹線とは違い 縦も横も広く 揺れず快適な社内であった
 熊本に着き 宮本武蔵が五輪書をまとめたと言われる霊厳洞
九州大学の赤煉瓦の昔ながらの建物などをみた
 4日は 加藤清正が築城したと言われる 熊本城を見、 妻の希望でもあった阿蘇山に向かった
火口付近にタクシーで着いたのだが やはり ガスなどが立ちこめ 見学許可が下りなかったのだが
火口付近で 半時間ほど待った頃だろうか 解除になったため 運良く見ることができた
 5日は 由布院で 辻馬車に乗った 
「くり」と言う 5歳の雌馬が引いてくれたのだが大人が 10人と 操る人の乗った 重さ 2トンほどの車を
1時間弱 のどかな町並みの中を引いて回ってくれた
今回は 九州新幹線もだが たくさんの 電車の写真がとれたこと
念願の妻の希望をかなえることができたこと
熊本 由布院でおいしい郷土料理を食べ のどかな風景を見て
命の洗濯ができたことなどが収穫の旅行であった

九州新幹線の写真 阿蘇山の火口の写真 辻馬車の写真 由布岳の写真



大井川鉄道旅行


  11月22日 23日 以前職場のスタッフと行った 大井川鉄道に友人と乗りに行った
 前回は夏のお盆の季節だったが
今回は 秋の紅葉の季節に行き
あまりに今年の紅葉がきれいだったので写真を写してきた
この 美しさがみなさまにも伝わるだろうか?

車内からの紅葉の写真1 車内からの紅葉の写真2



 ディズニーランド



  今回は 9月の連休を使って 東京ディズニーランドへ行ってきた
妻が始めてとの事で ただ ワンこは コースター系の乗り物は苦手なので 今回は 昼 夜のパレードを中心に見てきた
仕事の都合で 土曜日の勤務を終えてから 新幹線と京葉線を使って 舞浜へ 
夜遅くにホテルに入り 次の日の日曜日 1日と 敬老の日の月曜日の昼まで ディズニーランドにいた
敬老の日の夜 家に戻ると言う行程で行ってきた
話には聞いていたが さすが 連休の中日の日曜日など アトラクションは ほぼ120分待ちであった
プーさんと 写真を写すだけで 2時間ほど待つと言う盛況ぶりであった
昼のパレードは ミッキーが おばけの ハロインパーティーに誘われたと言う設定で行われ
夜の エレクトリカルパレードは 20年前に見た以上にパワーアップされたすばらしい 光と音のパレードであった
妻も 「良かった 良かった」を連発していた
今回は ディズニーランドを中心に行ったが 次回は ディズニーシーにも行って見たいと思う


パレードの写真 パレードの写真



京阪ミウジアムトレイン


  本日 嫁と 京阪電車開業100周年記念 ミウジアムトレインと言う列車を
中之島駅に 見に行ってきた
5両編成の特別列車に 100年の歩みや
  昔の駅のパネル展示や 昔 車両の前に載せていた行き先表示板や
特急電車の発車音や 模型など 所狭しと車内に展示されていた
開業当時の 天満橋駅や 京橋駅 また ワンこの最寄りの駅なども パネルで展示されており なつかしく感じた
2010年9月の各日曜日には 枚方市駅や 中書島駅にも お目見えするようだ
ミウジアムトレインの写真 ミウジアムトレインの車内の写真 ミウジアムトレインの車内の写真




平成22年の ゴールデンウイーク


   今年も うまく休みを入れれば 11連休と言う ゴールデンウイークも 最終日です 昨日 嫁と 京都の 梅小路蒸気機関車館に行ってきました 場内で走っている SL(スチーム号)に載った 妻は 「始めてSLに載って感動した」と 大喜びでした 昼過ぎまで SLを見たり 模型を見たりして館内におり そこから 京都へ  大阪に戻り 友人と 飲んで帰って来ました 今年も また 明日から現実の仕事です

SLの写真

SLの写真2枚目



平成22年の ゴールデンウイーク


  今年も うまく休みを入れれば 11連休と言う ゴールデンウイークが始まりました
今年も 去年と同様 妻と 貴志の いちごがりに行ってきました
今回は 朝 雨と 雷で 行くのが少し遅くなりましたが
往きは おもちゃ電車 帰りは たまちゃん電車に乗って行ってきました
貴志の駅は 駅舎の新築中で 駅の前に たまちゃんの 駅長室が移されていました
今年の いちごの生育は
昨年 11月に 大雨で畑が壊滅的な影響を受け いちごがりもできるか どうか 危ぶまれたようですが
何とか 開園できたと スタッフから聞きました
確かに 昨年の いちごに比べて 少し 味は薄いでしたが
やはり スーパーで買い求める物とは 比べ物にならないぐらいおいしかったです
今年は JR和歌山駅から 紀勢本線支線にのり 南海の 和歌山市に
そこから 天下茶屋を通り帰って来ました
また 来年も行きたいな?


平成21年 阪南 秋祭り


  今回 嫁の実家の 秋祭りを 10月11日に見に行って来ました
各町内から集まった やぐらが 3~4台 一グループになり
次々と宮入するようすを見てきました
宮入する順番は 山側と海側に別れた 地域が交代で
朝からと 昼からに 行うようで
今回は 嫁の地域は最後に宮入したようで 彼女も 「見たことがない」と
言うほど 華やかな物だったようです
私の住んでいるところでは あまり 秋祭りは盛り上がっていないのですが
嫁の実家がある 泉州地域では 青年団を中心に町ぐるみで今でも
  伝統を受け継いでいます
秋祭り1枚目



秋祭り2枚目



秋祭り3枚目



秋祭り4枚目





長良川と名古屋に行ってきました


今回も 妻と 友達の3人で 長良川の鵜飼いを見てきました
長良川沿いの ホテルに泊まり 夕方より 船上で夕食をし
鵜飼いの実演を見てきました
鵜匠が 12本の綱を操りながら かがり火と言う 松明を照らしながら
鵜に鮎等を捕らせるのですが 迫力があり おもしろかったです
鵜は 松明の日に照らされ驚いて逃げる 鮎を追っかけるようです
川上に逃げる性質をもつ鮎を
5艘ほどを縄で繋いだ船団で一網打尽にするようです
鵜は小さい物は 飲み込むようですが 大きな物は 吐き出すように
鵜匠が綱で操るようです
2日目の午前は 金華山の上に築かれている 信長の居城であった
岐阜城をみて 昼からは 友人と 別れ
名古屋へ行き 名古屋ドームや テレビ塔などを みてきました
今回は けちけち旅行で すべて JRの在来線を使って
行ってきました
下に 鵜飼いの写真を載せます

鵜飼いの写真

鵜飼の写真



21年のお盆と ワンこ


8月15 16日の両日 職場のスタッフと 友人の 視覚障害者ばかり
5名で 大井川鉄道に乗りに行ってきました
新大阪に 朝 7時に集まり 新幹線で 掛川まで行き
そこから JR在来線で 金谷まで
そこから 大井川鉄道に乗り換え 千頭まで
そこからは バスにて 宿までと言う 電車の旅でした
 大井川鉄道には まだ SLが 走っており
また 支線の井川線では 1000の90と言う 勾配を
電気機関車で押し上げる
また 2本の線路のみならず 間に 歯車をかませて 昇っていく
日本ではここだけしかないと言われている アプト式鉄道にも乗って来ました
記念館や博物館では SLは 見た事があったのですが
本当に走っている物を見るのは 始めてで 客車も 昔ながらの物で
なつかしく感じました
宿は寸又峡温泉に泊まったのですが ホテルのスタッフに
格別なる配慮をいただき
また 鉄道では 駅員の助けもあり 楽しく行くことができました
帰りは また 千頭から 金谷 そこから 浜松まで で
そこからは 新幹線で 京都まで帰って来ました
お盆と言う事で 混雑を覚悟で行ったのですが
高速道路が1000円で通行できると言う事もあったのか
鉄道は すいており  行き帰りとも 何とか座れ
快適な旅でした

SLの写真 井川線の電気機関車の写真



天神祭の船渡御に行って来ました


昨日(2009年 7月25日) 妻と一所に 天神祭の船渡御を見てきました
お囃子船や 屋形船をたくさん見てきました
さすが 日本三祭りの天神祭だなと思うほどの人の山でした
奉納の花火大会は見ずに帰って来ました
ちょっと残念でしたが!?
でも 楽しかったですよ

天神祭 祇園祭



祇園祭に行って来ました


2009年 祇園祭の 宵宮に妻と一所に行って来ました
山 矛の写真を下に載せます
 
祇園祭 祇園祭



沖縄に行って来ました


2009年 5月4日~6日 妻と一所に沖縄に行って来ました 天気はまずまずで
1日目は 「首里城」や 「ひめゆりの塔」を見て 夜は 「喜名 昌吉」さんの ライブを聞きました
歌の中で 「金網のない島」
と 言うのが どういう意味だろうと思いながら
歌を聞いていたのですが
2日目に 沖縄のアメリカ軍基地を見て この 事だなと思いながら
沖縄の複雑な事情を少しかいま見たような気がしました
その後  本部の 美ら海水族館の方へ
3日目は 本部より パイナップル園をみて 那覇空港から 大阪に戻って来ました
下に首里城の写真を載せます

首里城の写真
雲海の写真



上へもどる
パソコンの話題

 アレクサ 2024年2月29日 掲載 


本日、我が家にスマートスピーカー(アマゾン製のアレクサ)がやって来た。
何かいろいろな事ができるらしいがさて果てどうなる事やら!
アレクサと呼びかけたら電話をかけたり、音楽を聴いたり、調べ物ができたりと
いろいろできるみたいだが便利になりすぎて人間がだめになりそうに思うのは
ワンこだけだろうか?



 LINE 2023年9月10日 掲載 


ワンこがアイホンを持ち始めて1年半になるが、まだ文字入力は思うようにできずにいるが、
今回ワンこなりに新しい機能に挑戦してみようと「LINE」に挑戦を始めた。
「LINE」は昔からある機能だがワンこにとっては新たな挑戦である。
「LINE」や「X」などよく言われるSNSは、
ニュースでも話題になるように何か怖いイメージがありなかなか踏み出す気になれなかったのだが、
新しい事を覚えたくて「LINE」と「X」をかじってみようと考えた。
最初は、ワンこには難しすぎてハードルが高いな? と思っていたが、
いろいろ触って行くといろいろな機能があり「これはみんながはまるな……」と感じた。
ただ充電がやたら減る事と首を前に傾けて必死にやっているので疲れるなと感じたのと
ストレートネック製造機だなと感じた。
でも、これが現代社会で生きて行くための必須アイテムだなとも感じた。


 アイホンがやって来た! 2022年3月31日 掲載 


3月27日、わんこがアイホンを購入した。
ガラ系タイプのスマホと言われる二つ折りの物を持っていたのだが、
今回初めてあれほど嫌だったつるつる画面のスマホ(アイホン)に機種変更に踏み切った。
周りの物がアイホンに機種変更をして行く中で、
見えない者に便利なアプリが増えて来た事や買い物や何か特典(ポイント)を
もらおうとしてもスマホでないと利用できないような社会になって来ているようで
社会から取り残されそうな感じを受けていた。
でもいざ買ってもうまく文字を入れる事ができず、音声で入れる方法もあるようだがうまく入ってくれない。
なのでまだメールもできない状態である。
「シリ」と言う音声認識装置を駆使すると何とかできそうなのだが、
前途多難な船出である。
解った事は、長く使うと肩がこりスマホ首になりそうな感じである。
さてはて、わんコは、いつになったら笑ってこいつを使いこなせるようになるのだろう!
それまでこいつに振り回される生活になるのだろうか?


 新しいパソコンがやって来た。 2021年3月20日 掲載 


2021年、ワンコのパソコンが新しくなった。
と言ってはみたが、ワンこのパソコンは自作な物で側のケースを変えてもらっただけである。
ケースは、XPのころから使って来た物で大きさと言い気にいっていたのだが、
同じぐらいの物を探してもらうのに苦労をかけたようだ。
前回は、白っぽいブルーレイディスクドライブを内蔵しているタイプだったのだが、
内蔵ドライブの調子が悪く起動を遅くしたりソフトが途中でフリーズしたり大変だったので、
今回の物は黒いケースで内臓の物はすべてやめてハードのみにし後の物は、すべてUSBにて接続する物に変えてもらった。
ナノでUSBポートがやたら増えてしまったがフリーズもせず快適に使えて行くだろうか?



 続 テキストカウンター 2020年9月27日 掲載 


ワンこのホームページだが、2020年9月、今までホームページの閲覧者を数えてくれていた無料のカウンターのサイトより有料にするようなメッセージが送られてきてカウントをしなくなった。
「これは困った!」と考えネットを見ていると「PHP工房」と言うサイトで無料のテキストカウンターを見つけ設置した。
今回は、誰にも聞かず自分で探して自分で設置をしたのだがうまくカウントをしてくれているのかどうか解らない?
と書くと提供サイトの作成者からご批判を言われるかもしれないが?
設置をしまだ数日しかたっていないのでこのカウンターの特性を生かせていないのかもしれないが、数字は少しづつ変わっているようなのでこのままようすをみて行きたいと思う。
でも、いつもなら、誰かに聞きながらやって行く作業を、自分一人で探してできるようになってきたと言うのは少しパソコン知識がついたおかげなのだろうか?


 zoom 2020年 5月26日 掲載 


  昨年末より日本に猛威をフルっている新型コロナウイルスとそれにともなう感染症(covid-19)により緊急事態宣言で外出が制限され会社や学校も休みやオンラインによるテレワークが進んでいる時、
ワンこが入っているメーリングリストの仲間でzoomと言う機能を使ってのオンラインミーティングに誘われた。
先日、そのミーティングに参加してワンこなりに感じた事を書いて見たい。
ワンこは、メールやライン、ツイッターなどのsnsや画面と音声を同時に送る事ができるSkypeなどは知っていたが、
このzoomは初めての経験であった。
zoomは、オンラインで多くの人と画像や音声を通して繋がるのは今までの物と同じだが、
繋げる機器が、パソコンやスマホ はたまた 携帯や固定電話からも繋げる機能を持っている。
なので最近は、会社の社内会議や学校のオンライン受業でも盛んに使われ初めている。
ホストになる物がいろいろな設定はできるのだが、ゲストは、ホストから送られてくるurlをクリックしてidとパスワードを入れはいる方法や
zoomセンターに電話をしidとパスワードをガイダンスに従って入れ入る方法がある。
今回誘われたグループでは、ワンこは、携帯より参加をしたのだが
30人ほどが参加をしていて全国から参加をされていたようだが以外に皆さまの声がクリアーに聞こえて来たのは驚きであった。
パソコンでネット用のカメラなどが有れば顔なども見ながらお話ができたのかもしれない。
昔は、手紙でやりとりをしていた事がメールやラインなどのsnsが支流になり最近はzoomのような画面を見ながら音声も聞けるようなシステムが増え、
ますます人間が動かなくても事ができる世の中になってきていてついて行くのが難しいと感じている今日この頃である。



 Windowsテン№2。 2019年10月8日 掲載 


わんこのPCがWindowsテンに変わって1年数ヶ月たった。
その間、大型のWindowsアップデートも経験し
音声ソフトのPC-talkerの対応の遅れもあり右往左往したが現在は不具合も解消し今年の9月にはPC-talkerテンからネオと言う物にも変わった。
音声は格段に聞きやすくなり、
設定も「AOKメニュー」の 「ケートスの設定」や「PC-talkerの設定」と
「マイサポート」の「ツール」の中の「PC-Talkerの初期設定」とに分かれてメニューがあり今まで以上に細かい設定ができるようになった
PC-talkerも今までは1回買えばOSが変わるまで買い換える必要がなかったのだが
ネオからはシェアウェアーとなり数年ごとに費用をはらわないと使えないソフトとなった。
だんだんパソコンも金がかかるようになってきているが
我々視覚障害者に使い安い物に変わって行くように開発していただいているのであればそれも仕方がない事なのかもしれない!
晴眼者と変わらなく使える環境にはだんだんなってきているのかな? とも感じている。


 Windowsテン。 2018年 6月18日 掲載 


  2018年6月10日ワンこのPCがWindowsセブンからテンに変わった。
当初来年の1月にでもと考えていたのだが嫁の一言も有り半年前倒しし変える事にした。
マシーンは、そのままでOSの入れ替えだけをお願いをした。
前回XPからセブンに変わった時はいろいろな設定が変わり
数ヶ月パソコンに振り回された反省から今回は、自分なりにいろいろ準備をして
望んだのだが、今は、とりあえずセブンからの設定を受け継いでくれているのか
あまりにスムーズに使えているのでびっくりしている。
嫁も「数ヶ月あなたのイライラする顔を見ないといけないのか?」と思っていたらしく
 何事もなく使っているワンこをみて少し拍子抜けをしているようすであった。
Windowsアップデートなど細かいところでは変わっているのかもしれないが
今のところセブンと変わらぬ操作方法で行けている。
さあ これからが見物である。


 ブルーレイレコーダー。 2018年 2月11日 掲載 


ワンこは、今までテレビの録画をVHSレコーダーで録画をし楽しんでいた。
何年も前からDVDレコーダーやブルーレイレコーダーが発売はされていたが、
VHSレコーダーがまだ現役で動いてくれていたので引き続き使っていたのだが、
最近画像が乱れだしヘッドもすり減っているようだし何よりもVHSビデオテープが
亡くなって来たためハードディスクに録画をするために2テラの容量のブルーレイレコーダーを購入した。
使ってみれば、わりあい簡単に使えた。
番組予約等は、テレビ番組表から選んで予約をすれば簡単なのだろうが、
ワンこは、その番組表が見えないため手入力でする方法を教えてもらった。
ただカーソルの色が見にくくどこで決定を押せば良いか解らないためここは、
嫁の目を借りている。
何より感動したのは、CMをうまく飛ばせる事ができる事だ。
このように書くとCMを作成しておられるところから「CMも見てください」と聞こえて来そうなのだが、
まあ、そこは、多目に見てもらって、この機能が有ることでワンこが録画番組を見るスピードが格段にアップした。
今までは、見ている途中で眠気に襲われ何度も同じところを見て無駄な時間を過ごしていたが、
この機能のおかげでほとんど無駄な時間を使わずに連続して見る事ができ喜んでいる。
それに2番組を同時に録画しながら取った番組を見れる事だろう、
と書けば「今頃何を言っているのか?」と言われそうだが、
今のワンこには驚きと感動である。
リモコンにたくさんのスイッチが有るため、これだけで拒否反応がでる方もおられるかもしれないしワンこもソウで有ったが、
使って見ればすべて覚える事もなく使えている。
「食わず嫌い」とはこんな事を言うのだろうか?



 話題 本日、ワンこのブログを開店!  2016年1月27日 掲載



  ワンこが ホームページに続いて、ブログを手がけます。
 本日より、「ワンこのキママな日記」ブログを 開店しました。
今までは、ワンこが行った旅行の話や 感じた事を ホームページにアップして来ましたが、
これからは、ブログを中心に これまで以上、いろいろな話題をアップして行きたいと思っています。
ご期待ください。

ホームページにも、 引き続きアップして行きますが、
さて どこまで続きますか?
項ご期待!

リンクのページにも載せていますが
アドレスは

ワンこのキママな日記 http://ameblo.jp/won-ko45-2009
です。


 

 ワンこと Windowsセブン 


  ワンこのメインPCが、2014年2月16日 遅まきながら Windowsセブンの32ビットから 64ビットに変わった。
XPの ノートパソコンを2台も持っていたのだが、2014年 4月初旬を持ってサポートが切れると言う事で、
ノートのセブンを購入するついでに、システムドライブの容量が小さく、 不安を抱えていた メインPCも、
容量を増やしてもらうついでに、 64ビットに変えてもらった。
CPUも、 コアツウヂュオから、 コアI7の 2600で、 メモリーも、4ギガから 倍の8ギガに変わった。
それにともない、 ソフトも 32ビットでは使えていた物が、使えなかったり、メール等の設定にも、 少し手間取った。
 まだ、 使い始めて間がないが、やはり以前の物より格段に起動が、 早くなり、
なんと言っても、 インストールや、 ダウンロードのスピードが格段に、 速くなった(CPUのおかげかも知れないが?)。
2014年 4月に、 XPのサポートが終了する。
ぼやいても、仕方がない話だが、ウイルスの脅威から身を、守ろうとすると、変えるしかないと考えている。
 そのたびに、微妙に設定が変わったり、使い慣れたソフトが使えなかったりと、 しばらくは、パソコンに振り回されてしまう。
こんな、作業が少なくてすむように、 互換性などを併せてほしい物だが、
20年前ごろと比べても、 容量と スピード等が、格段に大きく 早くなって来ているので、仕方がないのかも知れない。
などと ぼやきながら、家族の顰蹙をあびながら この パソコン地獄から抜けられず、
こんなことを 全世界に発信して 楽しんでいる ワンこがここにいる。



 続 テキストカウンターと ワンこ 


  東京の知り合いや、大阪の障害者施設の職員を巻き込んで作った
「テキストカウンター」は、順調に訪問者をカウントしてくれていたのだが
  最近、 何気なくワンこのホームページを見ていると、何をした訳ではないのだが、
カウンターが カウントしなくなり、表示も消えてしまった。
大幅に内容を書き換えた訳ではなかったのだが、表示しなくなり 困って、
ワンこが今まで蓄積した カウンターの知識や、大阪の障害者施設の職員にも
また、 協力を依頼し見てもらったが、 今回は、 復活しなかった。
そこで、 ワンこが所属する協会の グループの会員さんが使っている 無料のカウンターがある事を思い出した。
早速、 そのサイトに登録をし、嫁の目をカリながら 夜遅くまで、設定するのに四苦八苦した。
その、 サイト内には いろいろな カウンターが有ったらしいが、訳がわからず指示されるまま進め
何とか、 それらしい物を見つけ、設置する事ができた。
でも、以前のカウンターも捨てがたく、戻せる物なら 戻そうかとも思ったり、
新たに 今、 設定した物も トータル人数や 本日、 昨日の人数までカウントしてくれる 優れものなので
これも良いかとも考え 悩んでいる 今の、 心境である。
新たな、 テキストカウンターは、2013年 12月24日より カウントを始めてくれている。

   


続 ワンことメールホーム作り 


  あれから、やっぱりあきらめきれなかった。 ワンこは、仲間のポー無ページから
「PHPメールホーム」と言う物を使われているページを発見した。
インターネットで 「PHPメールホーム」で検索をしたところ、説明のページと、
ともに、あるホームページに、 フリーで自由にお使いください と言う
PHPメールホームが紹介されていた。
とは、 言え、ワンこの頭では、理解が難しいので、また、
  以前にお世話になった 視覚障害者の施設職員に助けを求め、教えてもらう事にした。
難しくするには、いろいろな設定ができるようだが、
今回は、あまり変えず、 絶対に変更しないといけない部分のみ、 ワンこの物に変え、
後は、 書き換えず設置する事に成功した。
ワンこなりに これでメールホームは、完成したな? と思っている。

 

ワンことメールホーム作り


ワンこが所属している協会の中にパソコンクラブと言うクラブがあるのだが、
ワンこがいちようその代表を務めているのだが、
その、 クラブ員の一人が、「メールホームを個人のホームページに貼りたいのだけど
   解らないので一緒に勉強しない。」と言う申し出に対して 興味を持ったワンこは、
自分のホームページにも付けるべく勉強を始めた。
いろいろな人から、話を聞くたびに 「本格的な メールホームを作るにはかなり難しく
CGI等の知識も必要だよ」と言われた。
確かに、入力するホーム 確認するホーム 送信するホームと三つを連動させないと
だめだと言う事も解り ワンこには、ここで本格的な物を作るのは、断念するしかなかった。
このまま、断念するには悔しくて、 何か方法がないかと聞いていたら、
  簡単に、 タグにて作る方法を教えてもらえた。
タグには、 Aタグと言う物があり、「メールホームとして動かせる文字列」
「自分のアドレス」「本文に表すテキスト部を組み合わせて作る事ができるのだが
ただ、このままで表記すると ソースコードをみられると アドレスが解ってしまい
悪意のある者からの被害から少しでも避けたいために
  エンティーティーコード化しソースコードでは解らないように工夫をした。
その後、 同じようなタグを貼られているサイトを見つけ 自分のPCではどのように
表示されるのか知りたくなった。
ここからが大変であった。
ワンこの、 パソコンには「アウトルック」や「windowsライブメール」などと言う
ソフトは、 インストールされておらず、 リンクをクリックすると
  「メールクライアントが正しく設定されていないため正しく表示できません」と
  現れてきた。
なぜか解らず、上記のメールソフトをインストールされている方に、コレラのサイトが
  開く事ができるのか? 検証してもらったところ、 そのソフトが開くとの話であった。
ワンこが使っているメールソフトは、両者と違う物で、自分のメールソフトが立ち上がる ように設定したいと言う衝動がわき上がってきた。
いろいろなところに聞き、ワンこが持っているメールソフトを作っているところにも  聞いてみた
すると、  1.アウトルックや ライブメールは、コントロールパネルの中の規定のプログラム一覧に入るため簡単に設定ができるのだが、
2.ソフトをインストールしても ここに、入らない物は、手動で入れる必要があった
ここで、自分なりにわけも解らず操作し
ソフトの関連付けなどをしたためアイコンが変になりどうにもならず、
知り合いに見に来てもらった事も有った。
方法は、
1.コントロールパネルの ユーザーアカウント制御「UAC」を一時的にOFFにし
2.再起動をかけ
3. 使っているメーラーを標準のメーラーに設定すると言う作業後
  4.また、 ユーザーアカウント制御「UAC」を規定の設定に戻せば良い
それでも、だめな場合は、
5. コントロールパネルの 規定の設定の中の 「mail to」を設定すれば 表記される
事が解った
ワンこのホームページでは 2013年6月1日より 正常に作動している。
ただ、これは、 ホームページを見るPCに設定が必要で 
みなさまのところでも このような設定をすれば、みなさまが使われている
  メールソフトが立ち上がるように設定ができると言う事である。
この話題について、 ワンこなりに加筆したいとおもう。
最近(2014年3月) パソコンが変わった事で 悩んで解ったことが一つある。 
それは、ワンこのように フリーのメールソフトを使っている方は また、
自作のパソコンで インターネットエクスプローラー(IE)が 基底のプログラムの一覧に入っている物には、
マイクロソフト固有のメールソフト(アウトルック、アウトルックエクスプレス、ライブメールなど)を
基底のプログラムの一覧に登録し 一度 これを標準のメーラーにする作業をした後、
改めて 自分が良く使っているメールソフトを 登録し 標準メーラーに設定しないと、
うまく ホームページに表示してくれないことが解った。
固有のメールソフトを使っている方は、その後の作業はいらないのだが
ヒト手間、この、作業をやっておかないと
エラーメッセージで、
Windows Internet Explorerのメッセージ
既定のメール クライアントが正しくインストールされていないため、この操作を実行できませんでした。
エンターは OK
と 言うメッセージの後で、IEが、いくつも立ち上がり  困ってしまうことになる。
なぜ、このような現象が出るかは、まだ、ワンこにも 良くわからない。




今時のスマートホン情報と ワンこ


最近携帯に取って変わってスマートホン(スマホ)なる物が出て来た
視覚障害者にもこのスマホが使えそうなのか?
ワンこなりに知り得た情報も含め話して見たい。
ワンこが間違って理解している事もあり 解りしだい加筆訂正はしていきたいと思う
まず スマホとは アプリケーションを追加して 機能強化やカスタマイズができる
携帯電話の事を言うらしい
これは 簡単に言えばパソコンと電話が一体化した物とも言えるであろう
NTT どこもの2012年の夏モデルはすべてスマホばかりの発売となった
多くの視覚障害者が使っていると思われるNTTドコモのラクラクホンシリーズにも
 「ラクラクスマホ」として発売されている
NOTTV(ノッTV)と言うスマホ専用のテレビ局まで2012年4月に開局されている
今まで 視覚障害者が使える携帯は この ラクラクホンシリーズか
auの 一部の機種に音声ガイドが出る物があり どちらかを使っている者が多かった
だが 最近は 便利になりつつ有り 今まで視覚障害者に あまり選択枝がなかった
この世界にも ある条件を満たし それなりのスキルがあれば 視覚障害者も
機種にこだわらず スマホが選べる時代になってきた
その条件とは
1. スマホのOSが アンドロイド4以上であり
「トークバック」と言う専用の音声ソフトが組み込まれていれば
  後は 日本語入力の時の編集ソフトである IMEに 合わせた
「ドキュメントIME  無料」と それと 「トークバック」をつなぐ
「ドキュメントトーカー  有料」とを用意し設定してやれば
音声でガイドしてくれ 文字も書けるようになるらしい
2. アップルの アイホーンに
ボイスオーバーと言う音声ソフトを組み込む事でも同じ事ができるらしい
3. NTTドコモの らくらくスマホを使う事

ただ どのような物もそうだが 使い慣れるには 少し努力もいり
それなりのスキルも必要となる
また 欠点も有り
1.は 漢字の詳細読みまでできるようにはなっているが
上に書いたように 設定がややこしい
2.は 1.よりかは 設定は楽だが 詳細読みをしてくれない
3.は 今までのシリーズを継承している機種なので使い安いが
 まだまだ 音声ガイドに難が有り アプリケーションも追加が難しい  
スマホも パソコンにとって変わって便利に使い安い物になってくれればと思う
ただ インターネットを使うと言う形態上 ウイルス対策や
盗聴機のように使われ悪用されないように注意も必要である
IT世界も 日進月歩技術革新が進み 使う方も着いて行く我々も遅れないように
アンテナを貼り 便利に使いこなし
健常者と対等に話題を共有できるようにして行きたい物だ。

 


 

テキストカウンターとワンこ


  ワンこがホームページと言う物を持って3年が過ぎようとしている
最近 あるパソコン雑誌のテープ版を聞いていて 以前 「難しい」と言われて
断念していた  「ホームページにテキストカウンターを付けたい」と言う欲望が高まり
今回再チャレンジをして見ようと考えた
とは 言え 自分一人では難しいので 東京の知り合いや
大阪の視覚障害者の施設のスタッフ 友人を巻き込んで作り始めた
 まずホームページにアップロードしている自分のパソコンのホルダーに 「cgi-bin」と言うホルダーを作り
そこに 「count.cgi」と 「ct.dat」と言う二つのファイルを作った
ファイル内容は 東京の知り合いから教えてもらった記述を参考にした
「index」にもカウンターの表示となるタグを入れた
最初はカウントをするどころかトップページにうまく表示する事もできず悩んだ
「count.cgi」のファイル内容を見直したり、「index」の拡張子を見直したり、
実行属性を見直したり、FFFTPのバイナリーモードやアスキーモードを切り替えたりと
 大変であった
見えている物には 簡単作成と言うツールも用意されているようだが
視覚に障害があるワンこには 音声でガイドしてもらえないと使えないので
大変だったがこんな方法でやってみた
最後は いらないホルダーを削除し 視覚障害者施設のスタッフにも 再度チェックしてもらった
大変だったができあがった時は「バンザイ」と心の中で叫んでいた
今回のテキストカウンターは 平成24年7月1日から作動している
付け加え
今回 学んだ事は
FFFTPは ダウンロードでは いろいろな設定がくるわないが
特にテキストカウンターのホルダーなどは
アップロードを繰り返すと 設定がくるう可能性がある事も学んだ
また これは一例に過ぎないが
サーバーによっては アップロードの方法が少し違うかもしれないので
この辺は 気をつけて行って欲しい



AOKメニューと ワンこ


AOKメニューとは 高知システム開発が視覚障害者のために開発した
      パソコンの画面の文字などを音声でガイドする スクリーンリーダー
(PCートーカー)に付属する windows標準のスタートメニューに似た機能の者を言う
 この内容は健常者にはあまり必要のない話題だが ワンこのように視覚に障害がある者には
目から鱗が落ちるぐらいな話題なので話題にした
 この「AOKメニュー」は ワンこ自身 これを聞くまで 高知システム開発が作った
ソフトなので 高知システムのソフトしか登録はできないと思っていたのだが ある会で
それ以外のソフトでも登録ができ また 順位もユーザーが好きにカスタマイズできると
聞き実践してみた
 方法はインターネットで検索をしたところ いくつかのサイトで解説はされていたが
ここではワンこなりに解説したいと思う

まず
1.スタートメニューのすべてのプログラムから AOKメニューに登録させたいソフトのアイコンを選ぶ
2.アプリケーションキー または シフト+F10キーにて コピーを選び
   エンターキーを押す
3. すべてを閉じ
4.F12にて AOKメニューを開く
5.オルトキーにて システムファイルを開く その後 上下キーにて
一度 下矢印を押し その後 上矢印を2回押し 「マイファイルで 開く」でエンターキーを押す
6.マイアプリケーションが選択されていれば エンターキーで 開き
7. 開いた画面で コントロール+Vにて 貼り付け
画面が変わり
8.タブキーを何回か押し 「実行」にてエンターキーを押すと完了である
9.登録されているアイコンも 5.の操作で 「並び順の変更」で ユーザーの
  使い安いようにカスタマイズする事もできる

 windows セブンでは 「ユーザーアカウント」の画面が出て 続行をしても良いか?
  と 言う画面が出るが ALTキー+Yキー または 左矢印キーを一度押し
「はい」を 選択すれば良い

 アイコンの削除は マイアプリケーションから「削除」をするが これで実行させると
「AOKメニュー」からも削除されるが 「スタートメニュー」からも削除されてしまうので
後で復元が難しそうなので注意して欲しい。
</p>

 ワンこと windows セブン
 


  平成23年 3月13日 ワンこの メインPCが windows XPから
セブンに変わった
XPも そうだったが この セブンも自作してもらった物で 32ビット版である
XPから セブンに変わり ワンこなりに今 使い始めて感じた事を書いてみたいと思う
ワンこが感じる事で 少し間違っているかもしれないが その辺は参考にとどめてほしい
また ワンこはキーボード操作が中心なので マウスでの操作はしていない
 1.機動と終了が早い
ワンこの パソコンのCPUは Q9300と言う クワットコアを使っている
機動は windowsのロゴが出てからがXPとは比べものにならないほど早く
  切る(シャットダウン)作業は 少し困った事があった
ワンこが 下手に 「スリープ状態」にしたところ ハイブリットスリープ?
  機能と言う状態に入ってしまって 機動しなくなり 1週間ほど使えない状態になり
最後は再インストールをする事になった
作成者のところは 64ビット版だったのでこの機能を切るプログラムがあったそうだが
ワンこの 32ビット版にはプログラムもなく
今は 「休止状態」や 「スリープ機能」は 使っていない
 2.操作
   セブンの操作で 右クリック(キーボード下段の右から二つ目のキー、
アプリケーションキー、 シフト + F10)を押す事が多くなった
何か操作をしようとすると 右クリックで行う事が多い
 スタートメニューが横に広がらなくなり 今まで サブメニューが有ったプログラムは
左右矢印キーにて表示していたが サブメニューがあるプログラムは
プラス マイナスで表示され マイナスに変更したのち 上下矢印キーにて
表示するようになった
 ダウンロードやインストールが格段に早くなった
  また これは スクリーンリーダー(音声ソフト)の性能にもよるのかもしれないが
格段にエラーメッセージの読み上げてくれる率が増えた
 3.セキュリティー
 何か ソフトをインストールやダウンロード  削除 また 移動をさせる場合
許可を求める画面が出てくる
ここでは 音声で確認はできないのだが 常に 「いいえ」になっているため
左矢印キーを1回押し 「はい」に切り替えエンターを押せば 次の作業に入る事ができる
また セブンでは 正しい手順であれば 「ピンポン」と言うような感じで
少し高いチャイム音がなるが 間違った手順であれば 「ブブー」と
言われているような感じの低いチャイム音が鳴るのも ワンこにとっては参考になっている
 4.ホルダー構成
これは XPに比べて 格段に複雑になった
有ると思われるホルダーに ファイルがなかったりする
 ルートホルダー内に子ホルダー 孫ホルダーの中にお目当てのファイルが
存在すると言う感じである
これは 検索機能を活用して慣れる事しかないのかもしれない
ただ 今は もう 32ビット版は最後で 64ビット版が主流になってくると思われる
64ビット版は メモリーがフルに使えるそうで
32ビット版よりも また 処理が早いのかもしれない

まあ セブンにもぼちぼち慣れながら 新たな機能があれば また 紹介したいと思う。




 ワンことホームページ 


  パソコンで文字を書いたり メールをする楽しみを知ったワンこは
ホームページ閲覧にも挑戦をした
IBM製の声の出るホームページ閲覧ソフトを使って
音を頼りにホームページ(サイト)を見るのだが 最初は
そのサイトの何処の部分が読まれていて どの部分が自分にとって欲しい情報の部分なのかが解らなかった
と 言うのも このソフトは目の悪い人のために開発された物なのだが
普通なら読み飛ばすようなところも何度も重複して読む物で
何処が自分にとって必要なところかが 初心者のワンこには大変苦労した
最初は パソコンのアップデートや
持っているソフトのアップデートをするためや
たまに自分が所属している協会のサイトを閲覧するのみに使うのが精一杯であった
初心者の視覚障害者に教える立場になっても慣れず基本操作を教える程度であった
本格的に興味を持ちだしたのが協会内のクラブの代表になり嫌おなく
ダウンロードの仕方や ホームページからのインストールやデーター転送などを憶えた事から始まり
そのころから 携帯でも音声でインターネットが閲覧できる機能のついた物も発売されたのも ワンこの背中を押したきっかけである
使い慣れると 何処さえ聞けば良いと言うところが解ってくるようになった
3年前頃からは クラブでも「今までの実績を残そう」と言う事から
ホームページの 基本のタグから勉強しようとなり レンタルサーバーをかり
FFFTPと言うソフトを使ってアップロードを始めた
最初はのる気ではなかったのだが 「代表も一つ自分のホームページを作ってみれば」
と言うクラブ員のすすめから クラブのページをお手本に このページが生まれた
今は 何を調べるにも まずは パソコンのスイッチを ONにしてと 言うところから ホームページ閲覧で調べる事が多くなった
サーバーへのアップロードが自由にできるようになってくれば たわいのない事でも
ホームページに載せてみようと言う気持ちで 生活のできごとを探す楽しみができた
それと供に 全世界のだれかが これを見ているんだなと言う怖さがあるのも現実である



 

PCとの出会い


   ワンこと PCとの 出会いは 今から10年ほど前にナルだろうか?
当時 ms-dosパソコンが 視覚障害者に普及し始めた頃であった。
ワンこは 友人に ことある事に 「パソコンなんて おれには一生無縁の物だ」
と 言い続けていた。
 しかし 職場で勉強会のリーダーを始めて任され
レポートを作らないといけなくなり
文字が書けない ワンこには 困り果てて
パソコンのできる視覚障害者の友人に 点字で原稿を書き
ワープロで打ってもらった
で 無事 何とか勉強会を終え友人にはお礼に菓子箱を持って行った
そこで こんなに 労力を使うぐらいなら
自分で憶えて使えるようになろうと思ったのが
そもそもの きっかけである。
そこから 泥沼のパソコンライフが始まった
当時 ms-dosパソコンが支流で
本体が 25万ぐらいしただろうか?
それに 音声をパソコンから出すための スクリーンリーダーと言う ソフトと
装置が やはり 25万ほど それに 他のソフトや
プリンターを含めて 70万ほどかけて買いそろえた
まずは 文章が書きたかったので
ワープロを 大阪府視覚障害者福祉協会に習いにかよった
「あ」って どう打つのですか?
から 始まった
その時 教えてもらった 入力方法が
「6点入力」と言われる物で
フォームホジションの 「F」と 「J」に 人差し指を置き
おのおの 次のキーに 中指
その 次のキーに薬指を置き 点字タイプライターを打つ感覚で
6個のキーで一つの文字を表す方法で習った
今でも  その方式がワンこの 入力の主流になっているため
  今になってはちょっと困った事も起きている。
ぼくが 最初に書いた 勉強会の資料は 当時のスタッフにとっては
少し読みずらい物だったようだ
文字が書けるようになって来たら だんだん 欲が出てきて
その時 はやりであった パソコン通信を 今や なつかしい ダブルターム
と言うソフトを使って始めだした
その後 OSが ms-dosから windowsに変わり パソコンも 2代目の
  windows98se に買い換えた。
それからは メールを憶え
ホームページ閲覧ソフトで ネットサーフィンを楽しむようになった
2000年頃には 今の windows XPを自作してもらい 今にいたっている
これまで ノートパソコンは 何台買い換えたかは憶えていない
 今は 何をするのも 調べるのもインターネットであり
今では パソコンがなければ 夜も 日も開けず 家に帰ったら
嫁に声をかけるより パソコンのスイッチを押すのが
日課になっている。



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音楽の話題

オーディオと ワンこ


ワンこが始めてオーディオに目覚めたのは 兄が中学のころだったかに
買った物が始めてであった
兄はいつも 夜遅くまで聞いていたのを憶えている
自分も中学に入ったころ 兄に教えてもらいながら
貯めていたお年玉などを集めて
  「ダイヤトーン」のスピーカーと 「デンオン」のアンプそれに
  「ナショナル」の レコードプレイヤーを購入した
その当時 レコードしかなく
ワンこには レコードに針を載せるのが難しかったので 自動で針が載る
オートプレイヤーにした
その後 「ソニー」の カセットテープデッキと
  「ケンウッド」のチュウナーを購入した
時代は CDに移り 数年後には レコードプレイヤーから
「ソニー」の CDプレイヤーに買い換えた
今のオーディオと知り合ったのは 社会人になって
何年もたった頃だっただろうか
ワンこは 持っていたオーディオで その当時 満足はしていたのだが
音楽好きの友人に誘われて 大阪の心斎橋のホテルで行われた
海外オーディオフェアーを見に行った
大きなスピーカーや 金額の高いアンプなど たくさん見て回った
その中で 一つの音に耳をうばわれた
スイスの 「アコースティックラボ」と言うメーカーから
新製品で出されていた 「ステラメロディー」と言う スピーカーだ
「何と透き通った音だ」と体に電撃が走ったような 衝撃を
今でも憶えている
会場で 一度は 「ワンこには 買えない」と思い その場を立ち去ったが
忘れられず 友人に付き合ってもらって
再び その 会場へ戻って来たときには 「買う!」と 叫んでいた
小さいボディーだが 透き通った音は10年以上たった 今でも健在である
それから 友人が 当時 ひいきにしていた 日本橋の
お店の店員にお願いをして 「ステラメロディー」に合うアンプを
探してもらった
3種類ほどの アンプを選んでもらって ワンこたちだけの
試聴会を開いてもらった
この時こそ 「アンプによって音が違うんだな」と感じさせられた事はなかった
で 結局 「クラッセ」と言う メーカーのアンプに落ち着いた
その時 CDプレイヤーも 「日本マランツ」の物に変え
今のオーディオが完成した
今は 「クラッセ」の アンプに 「アコースティックラボ」の ステラメロディーと
「日本マランツ」の CDプレイヤー  それに 「ソニー」の
  カセットデッキ  「ケンウッド」の チュウナーと言う 物で
聞いているが 結婚をしてからなかなか聞く機会がなく
少しオーディオもさみしそうな感じだ。


 

音楽との出会い


ワンこが 始めて音楽に接したのは 幼稚園の頃だろうか?
両親は音楽で身を立てれるようにと 幼稚園の頃から
兄と一緒にピアノを習いに行かせてくれた。
兄はめきめき上達するのを横目に同じ曲を人の何倍もかかり
合格をもらいながら 小学6年まで通った。
何故 1曲に時間がかかったかの理由は明確で
ほとんどの生徒は レッスン中にも楽譜を見ながら演奏できることが
ワンこには難しく完璧に憶えるまで 合格をもらえなかったのである
小学6年の時 教えてもらっていた先生が アメリカに永住される事になり
それをきっかけにピアノはやめてしまった
でも その おかげかどうかは解らないが 小学校6年のとき 体育祭で
鼓笛隊で 指揮者のうしろで 大きなラッパのついたアコーディオンを
演奏しながら行進をしたことは このころの 自慢である
中学に入り音楽室のうしろにかかっているギターに興味を持った
ワンこは 音楽の授業の前や 休み時間など ギターと遊んでいた
とは 言え ギターは誰にも教わった事はなく
コードをかき鳴らす程度にしか過ぎなかった
中学2年で 盲学校に転校してからは フォークギターを買ってもらい
学校の文化祭や 寮祭でヘタながら 披露するようになった
高校では 対外的なイベントにバンドを組んで出場したこともあった
学生を終えてからも音楽の好きな仲間と貸しスタジオで練習をした事もあった
   今は良い思い出である
音楽の興味は 「フォーク」から 始まり 「ニューミュージック」
少し 「ロック」系を聞き
  今では 「ジャズ」を聞きながら 飲むのが ワンこの一番の贅沢である。



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その他の話題

点字と ワンこ


   今年は点字の考案者の フランスの ルイブライユ 生誕
200年に  当たる
 ぼくが 点字にふれたのは 13才の頃だったか?
小学校から 校区の 中学に入学したのは良かったのだが
入学直後より 勉強量も違ったため 急激に視力を落としてしまった。
その年の 夏頃より 盲学校に変入するべく 見学に行ったりした。
その中で 始めて 「点字」と言う物と知り合った
中学2年より 盲学校に移る事になるのであるが
始めて 「点字」を見た時 感想は 「ぶつぶつの印のところを
良く指で解る物だな?」と
「指がスケートをしているように読める物だな?」と 驚いた
盲学校に入学を決めた時
「とりあえず (め)と言う 点字では すべての点を 打つ字 ばかり
(めうち)を20枚打って来い」と言われた
今 思うと たぶん 思った点字を 性格に打つ練習だったのではと
  考える
点字は 六つの点の構成で どの点がもりあがっているかの形を
指で触り認識していく文字で 基本的には(かな)しかない
そのため 1冊の文字の本が点字にすると 膨大な冊数になる
点字にも規則性が有り その規則さえ憶えればうつ事はわりあい
簡単であるが これを目ではなく指で読もうとすると大変である
点字使用者の中では 点字を書くと言うより 点字を打つと言う方が
一般的である  その 理由は 筆記用具で書くと言うより
点字板と言う物を下敷きにして 専用の六つの穴が掘られた定規に
点筆と言う 千枚通しのような物で まるで 紙に穴をあけるように
打って行くところから 言われるようになったのではないかと思う
ぼくに 点字を教えてくれた恩師はすべての人に
その感覚は備わっている事らしいが 普通は そのような感覚を
使わなくても 生活ができるため
鈍くなっているらしい
でも なかなか大変である
ぼくも 最初は 原稿用紙1枚分を読むのに 受業一こまを
使い読まされた事もあった
 50音は まだ 良かったが
これが 英語や 音楽記号となると大変で
音楽記号は 今だ 読む事はできない。



ピアカンとワンこ


  ぼくが ピアカウンセラーと 言う物を知ったのは
 もう 15年ほど前頃になるだろうか?
 ぼくの住んでいる町で 「1日体験会を開ので 参加しませんか?」と言う
 お誘いからであった
始めて参加して びっくりしたのは 椅子だけを 円く並べ
 そこにみんなが座り テーマに沿って話をしたり
  聞いたりすることであった
今まで 口座や 研修と言われる物は 講師が前に立ち 黒板や
スライドを使ってする物ばかりであった
 それから 数年たち 視覚障害者の新たな職域にならないか?
それとも 今の仕事に何らか役にたたせる事はできないかと
  思い インターネットで 検索したところ
大阪の 障害者団体が主催している 口座があることを見つけ
  担当者である N氏に 電話をしたのが この 世界を覗くきっかけであった
 2003年 10月に 始めて 2泊3日の泊まりがけで行われた短期口座では
 今となれば 運命的な リーダーのY氏との出会いもあった
その後 「口座を受ければ ピアカンとは 名のれるが
本当にピアカンと名のりたければ 長期口座  リーダー研修を
受けるべきだ」と 言われ自分の仕事の助けになればと 考えていた
  ぼくは 「リーダー研修までとは 行かない物の せめて
  長期講座は受けよう」と 決めた
ただ 長期口座となれば 4泊5日と言う サラリーマンには
厳しい休みを取る事となり なかなか 受ける事ができなかった
 その後 2005年 3月に 2泊3日を 2週で 長期とすると 言われる
口座を見つけ 職場の上司を説得し 受ける事となった
そこで 今の妻となる 女性と知り合った
彼女は ぼくと違って リーダー研修まで受け
ぼくには 雲の上の人のような者で この世界では師匠である
今は 彼女は Y氏の元で仕事をし
ぼくも たまに 研修を受けさせてもらっている
今は まだ 本業に活かす事は難しいが
本業にも通じる物もあり
自分自身 これまで以上に
はばの広い考え方を持って
仕事ができるようになったかな? と思える
ぼくは 仕事以外で ピアカンで知り合った たくさんの仲間を
これからも大切にして行きたい


うちわサボテン


ワンこの 家の庭先でさいた
うちわサボテンです

うちわサボテン



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食べ物の話題

 話題 おたべの体験会に行ってきました  2015年10月4日 掲載


  今日、ワンこが所属している協会の行事で、京都十条にある 「おたべ体験道場」へ行ってきた。
  近鉄十条に、午後1時に、総勢33人が集合し、「おたべ道場」に 徒歩で移動した。
  少し時間があったので、おみやげ等を見て 午後2時頃より、別室を貸し切りにしていただいて
「おたべ」を作る体験をした。
「おたべ」とは、元々 「八つ橋」と言う 堅焼きせんべいのようなお菓子を、
きじを焼かずに、蒸した物に あんこを詰めた物を「生八つ橋」と言うらしく、
それを、作っている 1つの会社が「おたべ」と言う、名前で売り出した物が、有名になったらしい。
今は、「生八つ橋」と言うより 「おたべ」と言った方が、解りやすいかもしれない。

  部屋に入ると、10台程のテーブルに、2人分として、米粉、砂糖、 水、それに 混ぜる棒や、材料を伸ばす 麺棒、切るためのスキッパー等が置かれていた。
  簡単な、開会式と説明の後、いよいよ 「おたべ」作りが始まった。
  最初は、手を念入りに消毒し、使い捨ての手袋までして行った。
   まず、きじ作りで、米粉に水と砂糖を加え、きじを作るのだが、ある程度 ねばねばになるまでねり、
それを、10分ほど 蒸し、そのきじの中に、ニッキや まっちゃ等の粉を混ぜて行くのだが、
蒸してすぐの物は、熱く、手袋をしていても、大変であった。
米粉や、水は、福井の物が使われていて、後で水だけを飲ませていただいたが、水は、  少し甘い感じがした。
料理を作った事のない、ワンこは、粘土細工を作るような感じであった。
中に入れる ニッキは、以前は、日本製も使われていたようだが、今は、ベトナムの物の皮を使っているらしい。
ニッキや まっちゃの粉を入れたきじを 伸ばしながら、丸めて行き、ある程度、米粉に色が付いたところで、
今度は、麺棒で それを伸ばし、切る道具の、スキッパーと 同じ程度の厚さまで、伸ばしたところで、
その スキッパーで、四角に切り これで、やっと、おたべの 皮の完成である。
打ち粉には、きな粉を使っていた。
ここに、粒あんや まっちゃあん、 ごま風味のこしあん等をつめ 三角に折り曲げれば、完成である。
  その後、まっちゃを自分たちで立て 試食タイムとなった。
  これまた、茶道などしたことのない ワンこは、時代劇などで、簡単にされているので、簡単だろう! と 考えていたが、
どうしてどうして! 難しい物だな! と 感じた。

今は 中身に、紫芋や栗あんや、 チョコレート、 みたらしなどを入れた物もあるようだ。
 付き添いで来ていただいた ヘルパー様にも手伝ってもらって、1時間ほどの体験は、スムーズに終わった。

 そこから、また 近鉄の十条まで 戻り、家に帰ってきた。
時間は短かったが、なかなか楽しいイベントであった。

ワンこ作 おたべ

   おいしそうですか?



わんこ


  昨日 友人と居酒屋へ飲みに行った
友人は小学校からの友で今回も
「暑さをぶっ飛ばそう」と言う事で久しぶりに飲みに行ったのだが
わんこは最近 焼酎を飲む事が多く ここでも友人に 「どんな焼酎があるか?」と聞いていたら
なんと 「わんこ」と言う このサイトの名前に似た 焼酎が合ったので 
少し興味をもち 頼んでみた
酒が強くないわんこは 水割りで飲んで見たが すっきりとした飲みやすい麦焼酎であった
何処の焼酎かは解らず 家に帰ってインターネットで調べてみたが 
何県の物かは解らなかったが サントリーの製品であることだけは解った
焼酎は ビールのように味の違いが まだ 解らないが
これから いろいろな物を飲んで行こうと思う
でも わんこのサイトに 似た焼酎を見つけ 何か したしみを感じた 一時であった



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